2024年12月17日
ドイツと日本の間を三十年にわたり行き来していてるわけですが、いまだに変わらないのは、どちらかの国いいると、もう一つの国でのことがまるでシャボン玉の中に閉じ込められてしまったように感じられることです。
今回も同じで、ドイツに帰って一週間が経ちますが、日本でのことがシャボン玉の中に閉じ込められているように感じられます。キラキラ輝いているのです。
これに似たことを体験された方もあるのではないかと思うのですが、遠く彼方に消えてしまうということではなく、かえって日本で色々あったことが一つに纏まるプロセスなので、大切なことなのです。一つ一つのことを思い出すときにそっとシャボン玉の中から取り出してくるような感じです。ドイツでの生活と混ざり合わずいつまでも新鮮な状態にあるのでありがたいと思っています。
ようやく一週間が経ったのですが、一番辛いのは日常の記憶力をまとめている「箍(タガ)」が緩んでいることです。聞いた先からザルに水を流すようにどこかに行ってしまうのです。
ドイツから日本に向かった時にも起こることで、昔は日本に着いて三日目から講演があったりしたので、その時は苦労した思い出があります。疲れに原因があるのでしょうが、記憶体のようなものが肉体に馴染んでいないのです。
これから年を重ねてゆくと、こんなことが日常で起きてしまうのかと思うと、いささか心配ではあります。
そんな中でも今朝目が覚めた時には、昨日とはずいぶん違っていて、少しですが前を向いている感じがしました。あれをしなければ、などと俗な思いが頭をよぎるのですから、ドイツに帰ってきたということのようです。
あとは頭が少しづつ回転し始めるのを待つばかりです。
今はまだ文章を書きながら、インスピレーションが降りてきそうな感じがしませんので、プログとはいえ、健康状態の報告だけにしておきます。
2024年11月29日
浜松に住む中学の時の友人を訪ねがてら楽器博物館に足を運びました。
浜松にはヤマハ楽器と河合楽器があるので、ここに楽器博物館があるのは半ば必然の様な感じがします。二つのフロアーにはぎっしりと古今東西の楽器が敷き詰められていました。
楽器というのは、ある時ある文化の中で生まれているのだという事実に感動しながら広い会館を歩きました。生まれるだけではなく、消えてゆくという運命も印象的でした。
打楽器と笛はいつの時代も盛んに演奏されていたようで、その勢いは今日にも受け継がれ至っています。古くは部族をまとめるための祭りの主役だったりもした様です。戦争の時にも大活躍で、太鼓とラッパから成る鼓笛隊は戦場でも欠かすことのできないものでした。鼓笛隊とは比べ物にならない規模のブラスバンド熱は今もますます盛んな様です。
弦楽器も数多く展示されていましたが、それらがどのような役割を文化の中で果たしていたのかは読み解けませんでした。弦がどのように張られ、どのように演奏されたのかは知る由もない訳です。歴史的な弦楽器では、一番知りたいところが欠如しているのはかえすがえす残念でした。ただ演奏法はうかがえて、古い楽器では弦を爪弾いていた様です。その後弓で擦りながら音を出すものに移行し、今日のヴァイオリン族に至っています。その一方で、ピアノが登場します。はじめは弦を引っ掻いていたのがハンマーで叩くものになり今日に至っています。厳密に言うとピアノは打弦楽器ですから、打楽器への先祖返りと見ていいのでしょうか。
弦楽器は、歴史的には擦るヴァイオリン族が主流になりましたが、爪弾くという演奏法はいつも見られ、二十世紀に入ってギターが注目される様になってからは、爪弾く楽器が人気を集めている様です。ハープ、リュート、チターと多彩な世界です。
博物館にはライアーはありませんでした。
私はライアーがどのような位置付けに置かれるものなのかとよく考えます。弦楽器とはいえ、ギターやハープとは違うものだと考えています。
この楽器は、今までの楽器のように、作曲された作品を奏でるためだけにあるのではない様な気がしています。もちろんライアーで弾かれた曲には、そこでしか味わえない、引き込まれるような味があります。
それ以外の可能性はまだ予感程度にしか垣間見ることしかできないのでしょうが、これからが楽しみな楽器の様な気がしてなりません。
2024年11月10日
昨日日本に入りました。今回は大阪の関空でした。シュトゥットガルトの自宅ら関空まで、のべで27時間の長旅は慣れても疲れるものです。疲れてはいますが元気です。
これから近畿地方、中部地方の知人友人を訪ね、実家の整理に際し預かっていただいた荷物を整理しながら北海道に飛び札幌で初仕事をして、その後関東地方に向かいます。随分東京での会がなかったので、東京という空気の中で多くの人と声とライアーを通して出会えることがとても楽しみです。
声のことは足掛け二十年やってきたのですが、声というのはあまりにも日常的なもののためか、残念ながら単発でオファーがあるだけで継続することがありませんでした。大きな理由は、私の声へのアプローチが、一般に考えられている発声というジャンルに属さないことにあると考えています。練習して、訓練して上手になるものではないのです。それは人生そのもので、何かの練習をして人生が良くなるものではないのに似ています。人生というのはどんなに頑張っても、所詮未完成で終わるものなのではないのでしょうか。
つまり私の声のアプローチは、声が良くなるということを目標にしていないものんのです。目標にしているのは、相手に伝わるということです。これでもまだ抽象的なのでもっと具体的に言うと、相手を威圧しない声ということで、相手が話し手の声を安心して止められる、そういう声を願っているのです。
私たちは相手に何かを伝えようとしている時、まず第一に内容的なことを考えてしまいますが、実はその時の内容はどんなに素晴らしいものですも、声と言う道具を用いている限り、声が相手に受け入れられることが前提となるはずなのです。私はそこのところに焦点を当てて相手に聞いてもらえる声と言うことを考えました。声が受け入れられればコミュニケーションの第一歩が始まります。しかし、声のところで挫折してしまえば、どんなに内容が素晴らしいものでもそれは相手から拒否されてしまうのです。
声と言うのは、あまりにも当たり前すぎるものなので、それをメンテナンスしてみようと言う事はあまり思いつかないようです。しかし、話の内容よりも、声に魅力があるかどうか、つまり声が受け入れられているかどうかの方が比率としては大きな役割を演じていると思います。
よく耳にする「話し方教室」のようなテクニックとしての話し方は、意外と簡単に思いつくところで、そのために努力する方が多いのですが、実はそうしたテクニックよりももっと深いところにある声の質、つまり声が相手に受け入れられているかどうかは、素通りしてしまうものですが、思っている以上に大きな役割を演じているものなのです。
このこと、今回の声のワークなどを通して皆様と確認できたら嬉しいと思っています。