個性とスタイル。そして、いつも同じということ
モーツァルトの音楽がラジオなどで流れてくると、ほとんどすぐにモーツァルトの曲だと分かります。モーツァルトはどんな曲もモーツァルトだからです。これってとても不思議です。特に車を運転している時に、小耳に挟む程度に聞こえてくる時の方がはっきり分かります。
モーツァルトが生きていた当時のウィーンで盛んに作られた音楽は、表面的にはモーツァルトに似ているのですが、モーツァルトの曲でないことは、最初の二小節くらい聞けば分かるものです。
あるピアニストが、音楽会でモーツァルトとブラームスとを弾いた時に、次の日の新聞の批評には、二人の音楽家の生きた時代の持つスタイが表現されていなかったことを挙げていたのですが、その演奏を聞いた私には、スタイルよりも、モーツァルトの曲が中途半端にモーツァルトだったこと、ブラームスがブラームスでなかったことの方が残念で、スタイルのことは頭にありませんでした。むしろ演奏家が自分の解釈を織り込んで自分流を媚びしていたところが鼻についていやでした。
一昔前、よく音楽史の専門家が、シューベルトは古典派に属するのかロマン派かなんて論議していましたが、そんなスタイルの考証から音楽の真髄が聞えてくるとは思えずあまり本気にはしていませんでした。シューベルトが古典派だとかロマン派のスタイで作曲してとは思えなかったからです。シューベルトはシューベルトという人間を丸出しにして曲を書いていたはずです。シューベルトが聞こえてくる演奏家か、そうではない演奏家かが私には興味あり、シューベルトが聞こえてきた時にはいい演奏会だったと思っていました。
私のことになりますが、千回目の講演をした頃に、「自分はたくさん講演会をしたけど、いつも同じことを喋ってきたようだ」と思ったのです。
それを当時の主催者の方達にお話ししたのですが、分かってくださる方とそうでない方に分かれていました。
いつも違うテーマで話されていますよねと言われると、確かにそうなのですが、でもテーマをいろいろな資料を使って調べ上げ詳しく説明するということはほとんどしてきませんでした。ですからテーマに誘われて講演会に来られた方たちはきっと物足りない思いでお帰りになったのではないかと思っています。
確かにテーマに則って話していました。しかしテーマはきっかけの様なもので、テーマに触発された話をしていたというのが本音です。
さまざまなテーマが与えられたのですが、それに振り回されずに、仲正雄という本流からお話をしていた様です。そしてそのことを理解し、応援してくださった方達が講演会を支えてくださったのです。今は感謝の気持ちでいっぱいです。
去年、母の葬儀を終えてドイツに帰る時、ロシア・ウクライナの紛争のため、いつもと違ったルートで飛ばざるを得なく、ヒマラヤの側を飛び、ドナウ川の真上を飛んだのですが、どちらにも興奮しました。
ヒマラヤ山脈の高い山と飛行機の高度の差は千メートルほどでしたから、目の当たりに見えたました。望遠鏡でも使えはエヴェレスト登山の人の姿も見えたかもしれません。そしてその後ドナウ川の上を飛んだ時、初めてドナウ川の凄さを感じたのです。地図で知っている川とは全く別物で、まるで生き物の様な姿だったのです。
このドナウ川は2800キロメートル以上を流れています。ドイツ、ルーマニアなどの国を流れ黒海に流れ込みます。しかも何百という川が流れ込んでくるのですが、それでもドナウ川は悠然とドナウ川のままで全長を流れ切ります。いつもどこを流れていてもドナウ川なんです。どんなに支流からのものが混ざっても、最後までドナウ川であり続けるのがドナウ川です。