音は消える。消えない鳴り続ける音。

2023年4月5日

音楽が音楽である所以なんて普段考えることではないですが、そんなことを一緒に考えてみてください。

音楽というよりも音楽を作る音の方に注目したいのです。

つまり音は消えるという点です。

 

音は消えるのです。消えます。私たちが消すのではなく、自然に消えてゆきます。

もちろん音楽も音でできているので消えのです。消えるから音楽として成り立つのだとも言えます。音楽というのは「聞こえる」と「聞こえない」の混ざった稀有なるものということになります。

しかも形としては何も残らないのです。形として残そうと楽譜が生まれたのですが、やっと1000年くらい前のことです。人間の意識の物質化にシンクロしています。

とは言っても楽譜だけでは音楽にはならず、演奏されなければ音楽としては語れないのです。演奏され音になってやっと音楽になります。でも音楽になった瞬間にすぐに消えます。

他の芸術の世界の作品はどうかというと、消えないで残ります。何年も何百年もです。絵画も、彫刻、そして建築も。その時だけでなく後々まで形を残します。ピラミッドはいい例です。音楽と他の芸術にはとんでもない隔たりがあるのです。形の残る芸術と残らない芸術とです。ところで消えるとは言ってもどこに消えるのでしょう。これはいつか考えることにします。

 

もし音がいつまでも消えなかったら、どうなるでしょう。耳鳴りがしている時の様なものです。あるいは機械が故障したりして、ピーという信号音がずっと鳴っている様なもので、相当神経に触る雑音ということになります。工事現場のうるさい音ですら、作業している時だけ煩くて、作業が終わればまた静かです。

音というのは物理的に測定できる物なので、とりあえずは物なのですが、消えてしまうので物理的測定の彼方に行ってしまうので、物ではなくなってしまいます。

音には消えるという性質があるので人間は音を喜んで聴くのです。ずっと聞こえていたら大変で解放されることがないのです。脅迫的でまるで外から脅かされている様な感じです。

政治犯などを改心させようとする時、拷問の方法として暴力的に痛みを加える方法と、頭からヘッドホーン付きの帽子を被せ、そのヘッドホーからずっと同じ音を発信させ、発狂するまで聞かせる方法があります。一つの音がずっと聞こえていると神経は衰弱してしまいますから、その結果発狂してしまいます。

ところが音を強制的に聞かされても狂わないこともあります。それは信仰という力で、そのヘッドホーン拷問をかけられている人が信仰を持っていて、信じる神様のことをずっと思い続ける時、狂わずに拷問から解放されることがあります。信じる神様を思い続けるときに、聞こえている音から離れられるのです。音は神経を衰弱させますが、信仰は神経以上の世界に人間を持ってゆくので、音がしていても音から解放されているため、発狂しないで拷問から解放されるのです。

 

音が消えてくれて本当によかった。。

消えても音楽は記憶には残ります。

音というのはほんの瞬間だけ聞こえることで本命を全うしているのです。

微かな音の命が、音楽を虜にするのでしょうか。

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