ごっこ遊び
ごっこ遊び、これは子どもの頃にやった思い出があるのではないでしょうか。「なになにごっこ」というやつですが、小さな子どもはみんなそのごっこ遊びを真剣にやっています。「お医者さんごっこ」がそんな中でも一番人気でした。お医者さんだったり、看護師さんだったり、患者さんだったりと子どもなりにそれぞれの役割を踏まえてやっているので、社会性を培うためにも大切な遊びに数えられています。
私は自分で「ごっこ遊び」をした覚えがないのです。やったのかもしれませんが、覚えがないのです。性分的にも似合っていない気がします。
ごっこ遊びは子どもの模倣力から生まれたものに違いありません。ごっこができなかった私は、もしかすると当時すでに、最近ではあまり特別ではなくなった模倣障害の走りだったのかもしれません。
独自の道を行くとか、個性とかいう言い方は、今の若い人たちに人気がある様ですが、言葉だけが先走りしているもので、中身を吟味して言っているのではない様に見えるので、私から見れば「ごっこ遊びの延長」の様なものがたくさんあります。成人して大人になってからも模倣力に依存しているのではないかと心配になります。
特に独自性とか個性とかをいうことは口にする人に限ってそうでないものです。ただそう思いたいだけなんでしょう。いつかブログにも書いた「片思い」です。そして驚くなかれお勉強のできる人の方にずっと多いことです。先生に言われたようにしっかり勉強をしたのでしょう。個性的に生きている人は無我夢中ですから、自分が個性的かどうかなんて考えている暇がないと言うことだと思っています。私、僕、個性的だと思います、なんて言っている輩は暇人か自意識過剰なだけです。
いつまでも幼児性、子ども心を失わないということは高く評価されていいと思うのです。大きな仕事をした人たちが子ども心を大切にしていたり、良い意味でいつまでも子どものようだったということは耳にします。ただ何を持って幼児性というのかは考える必要があります。大抵は純真性、童心というこということになるのでしょうが、模倣から抜け出せないでいるときは問題です。つまり大人になってもごっこ遊びの延長をやっているということだと、模倣上手でしかない人間になってしまいます。
唐突かもしれませんが、最後に、いま不登校になっているお子さんたちに言ってあげたいのは、ごっこに惑わされずに、そんなものを取っ払って周囲から笑われるくらいにがむしゃらでやってほしいということです。学校なんて所詮学校ごっこだと自分に言い聞かせ、好きなことを見つけることに邁進して、それを極めればいいのではないか、そんなことも考えています。
ごっこは足枷でもあるからです。