商店の昔と今。ブラリと外国語
私の住んでいるシュトゥットガルトの中心街には、新旧二つのお城を取り囲むように商店街が広がっています。盆地ですから、周りには豊かな緑があり、まるで街全体を覆っている植物の屏風です。
そこを歩いて気がつくのは、有名店の支店、チェーン店のほうが、個人商店として個人で経営しているお店の数を遥かに凌駕してしまったことです。私の記憶にはまだ個人商店がひしめき合っていた様子が残っていますから、ここに三十年の変化のようです。
ドイツのまちづくりの基本は、駅前中心文化ではなく、教会文化で、だいたい駅から離れたところに教会を取り囲むように街の中心部が置かれています。これは昔の蒸気機関車が煙と一緒に火の粉を飛ばして走っていたことによるようです。
極端な言い方をすれば、今ドイツの街を歩くと、商店街のお店を見る限りでは似たり寄ったりで、だいたいどこの街でも似たような傾向があるので、地方の特色は周りの風景に感じるだけです。せっかく違う街を歩いているの同じような店が並んでいると、何か目新しいものがあるかもしれないと、ワクワクする探検意欲は失われてしまいます。探しているものが見つからないと「ネットで買えばいいじゃないですか」と言われるのがオチです。
ただ街を歩くのは、お店もですが、そこに集まった人を観察するのが楽しみですから、その辺の楽しみは今も昔もあまり変わっていないようです。しかし外国からの人の数が増えたことには、驚きます。ある地区を歩いていると、ドイツ人が小民族ではないかと思われるほどです。私はドイツでは立派な外国人なので、そういう街を歩くのが好きで、出かけるときは一人で歩きます。歩きながらいろいろな言葉が飛び交っているのが楽しく、音楽を聴くように、言語の違いを楽しむ一方、民族の違いからの人間の行動パターンが目を楽しませてくれます。アジア人だけでも昔と違ってきていて、中国が人数では圧倒していますが、ベトナム、モンゴル、タイなどからの人も随分増えてきていて、よく似た顔のアジア人が全然違う言葉で会話しているのを、耳にしたり、目にしたりして楽しんでいます。
色々な言葉が飛び交っているのですが、どの言葉も意味がわからないままですから、無責任に聞き流せるので、言葉の音の響きを楽しむには最高です。外国語を習っているときは、意味がわからないと、ということで言葉のひびきを楽しむなんて余裕はないものですが、商店街を歩きながらすれ違う人の話し言葉の美しさは純粋に堪能できます。どの言葉も聴いていて楽しいですし、美しいです。どの言葉にもそれぞれのニュワンスがあって、言語という大木の幹に生えている枝のようにあっちこっちに広がっている感じです。
シュトゥットガルトにも最近巨大ショッピングセンターができて、しかもそれが駅の近くで、シュトゥットガルトの人だけでなく、周辺の町や村からも週末はたくさんの人が来てくれるので、人種のオンパレードです。人種のことを考えると、政治が物事を複雑にしてしまうのですが、そこを外せば、色々な人が一緒に生きているというのは、楽しいものです。人間は本来は違うことを楽しめる優秀なところがあったはずだと思っていので、次の社会は、こうした違いを楽しめる文化が生まれることを祈るばかりです。