精神的

2023年5月9日

精神的という言葉はつい使いたくなるような言葉です。高尚な感じがするからでしょうか。学があって教養が高い感じもします。ハイソサエティーです。しかしこの言葉の意味していることを分かっている人がどのくらいいるのかは分かりません。知っているつもりで話している人は多いと思います。

精神的というのは、教養人たちにとって体のいい方便のような気がします。いやきっとそうです。嘘も方便と言うように精神的も方便の一つです。そしていつものように、この言葉を頻繁に使う人ほど、「語るものは知らず(老子)」というわけですから分かっていないということになります。世の中というのは実際によくわからないことが、意外と無責任に横行しているものです。

だから学問があるのです。研究と調査の場としての学問がです。学問によって理解が深まるのです。しかしこの学問、昔は暇な人間がすることでした。英語のスクールの元々はラテン語のスコラです。このスコラというのは暇人が集まって何かをやっているところ(修道院)だったのです。こういうところに文化が生まれるのです。文化というのは突き詰めれば無駄なもの、無用の長物です。芭蕉が言うように、夏のこたつです。文化は生活に役立つものは一切生産しません。驚くほど無駄なことです。そのために莫大な費用がかかるものです。それでもこの無駄がなければ人間は枯渇してしまうのですから、食べることと同じくらいか、それ以上に大切なものと言うことになります。

この無駄を支えているのが精神的と言うことではないかと思います。

 

 

 

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