YouTubeの未来
最近YouTubeでは音楽を聴くことが多くなっています。理由は他のものは少し飽きてきたからです。
以前は料理ものをたくさん見ていました。有名なシェフの包丁さばき、鍋さばきは楽しみの一つでした。出来上がった料理は、口を揃えて「おいしい」ですが、本当のところは分かりません。自分でも食べてみたいと思ったものはわずかです。
コロナでレストランが閉鎖されていた時期、多くの人が自分で作らなければならないわけで、需要があったと思うし、それなりの社会貢献があったはずです。そして見る見るうちにシェフの数が増えてゆきました。もちろん参考になるものもあるのですが、実際には料理人さんたちが作ったものを食べたいので、YouTubeで見ていると、なんだか手品の種明かしのような感じがしてきて、なんでも知ればいいわけではないと、いつもの天邪鬼が出てきます。
手品というのは、騙されているのが楽しいので、種明かしをされてしまっては白けるだけですから、迷惑千万です。料理も同じようなところがあると思っています。どうしてこんなことができるのかとか、なんという味が作れるのかと、食べながら驚いている時が最高に幸せなのです。
最近は、もうシェフの料理の様子は見なくていいやという感じで、だんだん料理の動画から離れていったのです。
もう一つは、どうもYouTubeがお利口さんの集まりになってきているような気がしています。お利口さんよりも、優等生的な匂いがするのです。随分チェックが入るようで、言いたいことが言えないらしく、そのために当たり障りのないところに言ってしまうのかも知れませんが、結局はどこかで統制されているようで、その枠内の発言におさまつてしまうのでしょう。出来上がった筋の通った話しは面白くないです。八方破なものがもっとたくさんあるといいのですが。
音楽を聴いていると、演奏の途中で宣伝が入り、雰囲気がぶち壊れになるのでイライラして聴いていますが、それでも聞きたかった演奏などが動画でアップされていると嬉しくなり、つい聴いてしまいます。でも音楽はいい機械で聴いていると臨場感があるのですが、小さいものでは缶詰になった音楽のようでつまらないのですが、やはり珍しい演奏の記録は今は楽しめます。
最近私はこんな感じでYouTubeと付き合っていますが、今のままでYouTubeはどのくらい持つのだろうかと思うことがあります。私を基準にしてもどうしようもないのですが、この先の動画の成り行きに変化が起これば別でしょうが、今のままでゆくと、いつか枯渇してしまうかもしれないなどと考えることがあるのです。