今日日本につきました。
今回はいつもと違い、日本の飛行機会社を使わずに飛日ました。ウィーンからでしたので飛行時間が12時間で収まりました。
驚いたのは、乗客のほぼ九割方が外国人だったことです。日本の飛行機会社の場合は逆で、今までは外人の旅行客の数は聞いてはいましたが、今回は実感しました。ドイツで生活していて感じるのは、いま日本が観光のメッカになっているということですが、確かに凄いことになっているようです。
日本で何をするのかは人それぞれなので計り知れないですが、日本で自国で味わえないものを感じたいということは共通しているようです。その中で多いのが食べ物です。お寿司、しかもカウンターで本物のお寿司を食べたい、割烹料理、特に和食がユネスコの世界遺産に指定されたことによるものです。そのほかに庶民的なラーメン、お好み焼き、といったB級グルメのものまで含め、食べ物を旅行の目的にしている人は意外や意外多いのです。
日本の田舎風景も人気の的です。日本人なら行かないような「ど田舎」までがターゲットになっていますから、正直驚きます。
日本の自然は確かに綺麗ですが、実際には一千年以上にわたって農地が開拓されたりで手が加えられているので、純粋な自然というよりも、自然にそぐって整備された自然と言っていいものです。ただ日本は地形的に八割が山で人が住めないので、手が加えられたとしても、山の麓までで、残りは確かに手付かずの自然なのかも知れません。
例えばドイツはローマが侵略してきた二千年前から原生林は伐採されてしまっているので、人工的要素は日本以上ですから、日本の田舎風景にはある種の憧れがあるのかも知れません。
神社仏閣も人気があります。神社の建物は、基本的には仏教の影響で建てられたものですから、日本の自然信仰としての浸透の原型は自然の御神木とか磐座です。そういう意味では自然に対しての考え方が違うので、そんなところも影響しているのかも知れません。しかし外国からの人が岩や大木を見ても、ただの岩でありたい僕に過ぎないのかも知れません。最近の日本人も大方そんな傾向にあるようです。
日本の伝統的なものが外国からの人たちによって継承されている様子はずいぶん報道されていますから、多くの人がご存知かとは思いますが、明治に入って、日本の浮世絵などが安価で外国に売られ、そのお金で西洋の、印象派などの絵画が買われたのですが、その逆現象がいま見られているのではないかと思います。ない物欲しがりと言って仕舞えば元も子もないですが、やはりないものには憧れるものです。
日本の非常に繊細な技術、完成度の高さは、特筆すべきものですが、それはただ技術としてというよりも、技術を支えている人的無意識によることも考えるべことのように思います。
ものづくりにあって、技術の習得と同時に、無意識に流れる日本的霊性のようなものです。私は人間の指先には、無意識が迸り出ていると考えています。