海軍の英語の勉強法

2023年5月23日

私の父は戦時中海軍にいました。学徒動員で、終戦に近かったため船がなく横須賀にいただけの、父の言葉を借りると「海を知らない海軍兵だ」ということでした。

最近友人から、「海軍の英語の勉強法」の話を聞き、父から聞いていたことを懐かしく思い出していました。

海軍の英語勉強法は、英文を翻訳しないというものだったのです。

例えばHow do you do?を訳すのではなく、そのままとして何のことを言っているのかを感じ取るというものだったようです。

doは普通動詞であると同時に強調するときの助動詞的でもあるので、ただ be careful というよりも do be careful の方が「注意してね」を遥かに超えて「ちゃんとしっかり注意するのよ!」という意味合いになりますが、それをどのように訳すかというと、その時の文脈の流れがあるので幾つものヴァリエーションが生まれます。直感的に感じ取れていれば、一つなのです! !。それを次に繋げてゆけばいいので、流れが生まれ、あたかも自転車のチェーのようにつながるのです。

難しい文章にしても、英語の中だけでイメージを膨らませるのだそうで、今までの勉強法とはだいぶん違うので、当時の父は初めは大変だったそうですが、慣れるまで我慢すると、そのほうが英語力がつくと言っていました。

私も今、ルドルフ・シュタイナーのドイツ語を翻訳したりしているので、翻訳のもつ弊害に嫌というほど気付かされています。翻訳し出したら、翻訳の可能性は無限に近くあるので、私の翻訳ですから最低で三つや四つは出版できる体たらくです。そのうちの一つに決めることが難しいことは言わずもがなです。結局翻訳は翻訳者の文体の中で、翻訳者が一番親しんでいる文体で翻訳することになるので、翻訳者の解釈と文章センスが相当入り込んでしまいます。

それでも翻訳の良し悪しや個性の違いを超えて、原文が持っていると力というのは、翻訳の背後というのか遠く彼方に控えているもので、想像力を働かせ翻訳の言葉尻にとらえられないように、イマジネーションで読むと、原文からの声が聞こえてくるものです。

日本語という同じ言語の中でも、平安時代の源氏物語の翻訳は百花繚乱で、明治から今に至るまで、与謝野晶子の「新訳源氏物語」から始まり最近の角田美代源氏まで、私の知る限りでは十種類の現代語訳があります。

ちなみに外国語を含めとる三十三の外国語の翻訳があり(きっと今後増え続けるでしょう)、外国の日本文学ファンの方が源氏物語を熱心に読んでいると言われるほどです。私はドイツ語と二つある英語で桐壺だけを読みましたが、ドイツ語の翻訳は大変に素晴らしく、まるで紫式部の原文に肉薄するほどの臨場感のある翻訳で感銘を受けました。

 

英語を翻訳しないで理解する。

鍛えるべは英語の中に流れているもを感じ取ること。

センスが磨かれます。

ひいては言葉全部に対しての快晴豊かなセンスです。

言葉なんて、所詮誤解の元なのですから、言葉尻で、屁理屈で読解してもよし、直感的なセンスで感じ取ってもよしと言えるのであって、どちらが真に迫っているのかというと、私的にはやはり直感系です。

折口信夫(おりぐちしのぶ)という日本語学者であり釈超空という詩人名を持つ、天才肌の学者詩人は、人の話をもっぱらイメージで聞いていたようで、はたから見ていると、聞いているのか聞いていないのかがよくわからなかったそうです。言葉尻ではなく、言霊というレベルで聞いていたからなのでしょう。彼が直感で予言していたことが、その後学問的に実証されたというものがいくつもあります。

 

 

 

 

。で、

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