鎌倉散策、佐助稲荷
久しぶりに旧友の浅田豊さんと鎌倉を散策しました。彼の実家は鎌倉、私は逗子ということで、ちょうど二人が同じ時期に日本にいることは珍しいのです夕方に鎌倉の駅、それも俗にいう裏駅で、落ち合いました。今人気の江ノ電の入り口でもあり、それなりの人数でしたが、静かな場所です。
小町通りの多人種による人混みとは違って、駅の裏口を少し離れ、鎌倉市役所を横目に過ぎると、人通りもほとんどない閑散とした家並みが続く、しかも緑がたくさんある散歩道です。山が近いのでトンネルが掘られていて、それがいい味を醸し出しているので、つい足がそちらに向いてしまいます。途中にある銭洗い弁天には寄らずに佐助稲荷の方に向かいました。
若かりしころこの近くに住んでいた友人の家で、毎月一回、我らの同人誌さまいゆの集まりがあり、文学を語りながら、貪るようにレコードで音楽に聞き入っては、熱く語りあったのもので、当時も頭を冷やすのこの近くを歩き回ったので、一応どの景色にも家並みにも覚えがあり、なんとなく当時のことが思い出しながら歩いていました。
当時の私は何年間か聞き込んだモーツァルトから離れシューベルトに移行する時期でした。モーツァルトはk 1 から k 626まで当時録音で聴けるものはほとんどきいていていたのですが、その頃はモーツァルトのピアノに何かが足りないことを感じていた時で、シューベルトのピアノ曲にに出会い新しい可能性を音楽の中にと同時に、自分の中にも感じていたことです。そこからシューベルトの音楽の世界に没頭が始まったのです。
そんな懐かしい昔を思い出しながら、佐助稲荷の入り口に辿り着きました。赤い鳥居が立ち並ぶ、狭く長い階段を二百段くらい登ると社があります。静かにポツンと建てられています。
逞しい太い木が山の斜面を覆うてしぎな景観です。浅田くんのおばさんの友人がロシアのピアニスト、リヒテルの日本での通訳者だったので、昔から折に触れリヒテルことをいろいろ聞いていたのですが、この佐助稲荷は彼のお気に入りの神社だったとその時知らされました。さもありなんと納得できるものがあります。山の斜面の深い森は人の手木はいらない居場所で、北海道で何度か行った原生林に近いものを感じていました。
この神社はポツンと深い山の中にある、決して観光の人が訪れることのない神社です。私の神社に詳しい友人が言うには佐助稲荷はとても格の高い神社として神社関係では大切にされている神社だと言うことです。こんもりとした森の中には、間近に大きな鳴き声で鶯が鳴き、キツツキが飛んできたり、小さな鳥たちが遊ぶ、自然との一体感を満喫できる場所で、壊れかけたベンチに座り、当時のように音楽のことから文学のこと芸術のことを、当時の熱血漢は遠く消え去り、のんびり気ままに話しながら、七十の初老の二人が、清められている空気の中でしばらく時間を過ごしました。
神社とはいえ小さな社が一つ立っているだけです。これは表向きの姿で、社が立てられる前の本来の要となっているのは、磐座であり神木ですが、そこに向かうには社からさらに山を登らなければなりません。どこまで近づけるのかは知りませんし、今回は装備もできていなかったので諦めました。人家の並ぶ住宅街をちょっと抜けただけなのに、森に囲まれた坂の上にある神社はそんなに多くないので、今までに何度も言っているのですがもまた行きたくなる神社です。