論語読の論語知らず

2023年9月29日

この格言はよく耳にします。私の様な人間には実に耳の痛い格言です。

初心忘るべからずと共に大切にしたい座右の名でもあります。

 

私がシュタイナーに出会ってから50年になりますが、シュタイナー読みのシュタイナー知らずの仲間入りをしないように頑張っているつもりですが、側から見たらたっぷりと「知らず族」かもしれません。

 

ドイツに渡って治療教育施設での勉強を合わせると、シュタイナー関係の施設にまず5年にいました。ドイツでの生活の基本を、言葉も含め、そこでたくさん学びました。その後スイスに留学、そして仕事に就くためにまたドイツに帰ってきて、いくつかの治療教育施設で働きました。

ドイツの国の人たちは真面目です。クソ真面目かもしれません。悪く言うと融通が効かない一面性を持った真面目さです。論語で例えると「論語を読んだら論語がみんな分かる」と思ってしまえる人たちかもしれません。羨ましいと言えば羨ましい自信です。多くの人が、読んだらわかると思っている様です。難しいシュタイナーもそうで、シュタイナーを勉強したらわかると信じている様なところがあります。私にはそれがとても滑稽であり息苦しく、10年彼らと生活した頃から限界を感じていました。

自分で離れる決断がなかなかつかなかった時、病気でドクターストップがかかってシュタイナーの施設と袂を分かちました。それとほとんど同時に日本からお呼びがかかり、日本での活動が開始したのです。それに並行してドイツでの講演会の依頼も増えてきました。

 

日本の人たちもドイツ人に負けず劣らず真面目です。それとよく似た権威主義の様なものが目につきます。それならなぜ日本にゆくのかと言われるでしょうが、日本では、日本人として、日本語を母国語とする人間として、ドイツではうまくできなかった、硬直した真面目さに、講演会、ワークショップを通して、ある意味の爆弾を投げ込むことが、出来る様な気がしたのです。そして皆さんに支えられながら続けました。

ドイツ語での講演はドイツ語が母国語でないという限界をいつも感じてやっていました。内容を説明できても、聞き手の人生を変えるほどのインパクトがあるのかというと、いつもタジロンでいました。

30年を振り返ると、私の言葉は無力だったと思わざるを得ません。そんなことを考えると「論語読みの論語知らず」という格言が脳裏を掠めます。破壊力のある爆弾を作れなかった自分の微力を反省するのです。しかし30年をなんとか続けられたのは、言葉に込めた私の思いがわずかながらでも繋がっていたからなのかと思うこの頃です。

 

「論語よみの論語知らず」は実に本質をついた言葉で、色々な分野に通じるものです。論語を読んで、そこで覚えたくだりを暗記して引用する人を見かけますが、わかっていない人だと思って見ています。

シュタイナーはスイスのドルナッハに自身が設計した建築物を建てます。それをゲーテアヌムと名付けます。ゲーテを尊敬していたからです。ゲーテの信奉者だったからです。しかし多くのゲーテ信奉者たちは、ゲーテの記念館などを建て、そこにゲーテに関するものを集め展示したり、ゲーテに関する論文を出版したりするところまでです。シユタイナーは同じ信奉者でも、ゲーテと言う名前をかり、つまりゲーテという土俵を借りて、ゲーテが目指したものを求めるものを作ったと言えます。松尾芭蕉の言うように「師の後を追わず、師の求めたるところを求めよ」と言うところです。

シュタイナーの引用で講演会を満たすのではなく、シユタイナーが求めたところを言葉にしたいと願って精進しています。

 

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