琴線の不思議
琴線に触れるというのは外の音が心の中の弦に触れて共鳴することと言っていいと思います。人間は心の中に弦楽器を持っているということです。
ところで、どのようにしたらその弦に触れることができるのでしょうか。ただ外から音が響けばその弦に触れるということではなさそうです。何か特別の原因がないとその弦は共鳴しません。しかも琴線はただ音に反応するだけではなく、心が動かされた時なども登場するもので、心、感性、心情といった心を表すものに呼応しているようです。その時の心の動きを弦の響きに喩えているわけです。弦は人間の心そのものと見ることもできるのでしょう。
そのように捉えると弦楽器の役割というのは思った以上に広がってきます。逆に弦は心を表現するのに最も適したものだということになるのかもしれません。
管楽器、ブラスは呼吸を使って音を出します。呼吸というのは息、つまり粋ですから心の動きそのものを表すもので、管楽器こそが心の中で響いていてもいいのでしょうが、管楽器の音を作る呼吸ではなく、琴線つまり弦の響きなのです。
弦を指で直接に触れて音を出すことを、爪弾くと言います。普通は弾くというイメージが先行しているのでしょうが、私が演奏する時は爪弾くでもでもなく。引っ掻くでもありません。どのように説明したらわかっていただけるのか、いささか心配ですが、弦を張り詰め放すというイメージです。張り詰めた弦が放された時にだけ生まれる音なのです。これはまさに弓道の時の弓を放す作業と全く同じです。弓道の場合、弓は目標定めて撃つように弓を射るのではなく、弦をこれ以上引けない程までに引き込み、そこで張り詰めた力が頂点に達したところで弦から弓を放すだけなのです。
この時弓はぶれることなく飛んでゆきます。同じように放たれたライアーの弦から生まれる音は透明で、澄んだ音です。とてもよく響きます。弦は弾いてしまうと、響く力に限界が生まれ、遠くまで響かなくなってしまうのです。弦は放たれる時にのみ遠くまで響きます。静かな音だけがなせる技です。以前に。「横浜みなとみらいホール」の小ホールで演奏した時は、四百人収容の空間を、静かな音が最後列までよく響いていました。放たれた音は雑音の合間を縫って飛んで行ったかのようでした。
弦を放しただけで飛んでゆく音がそんなに遠くまで響くものなのかどうか、初心者は心配になるのでしょうが、大丈夫です、よく響きます。しかも聞く人はその小さく透明な音に聞き耳をそば立ててくれますし、そのように聞かれた音に琴線が共鳴していますから、全く過不足なしです。かえって大きな音の方にはうるさくて聞き耳を立てないものですから、琴線にまで届かないということになります。琴線のことがわかると、小さな音の秘密も同時にわかってきます。ちいさな音の方がよく聞かれているものなのです。
語るなら小さく語れ、とはイタリアルネッサンスの巨匠ミケランジェロの言葉です。彼は音楽家ではなかったのですが、音楽の本質がピアニッシモだったことをよく心得ていたのだと思います。全ての芸樹に共通するからです。表現はピアニッシモに限るようです。