やさしい靴

2023年10月28日

先日久しぶりに講演会をしました。そこで言葉を日常のものとは違った使い方をした訳ですか、言葉と言うのは使う意識の持ち方で変わると言うことを改めて体験しました。

同じ様なことは日常でも話したりしていたと思うのですが、日常の意識ではうまくまとまらないものが、講演で人前に立つことでまとまったりします。あの場所に魔力が働いているのかどうかは分かりませんが、気持ちが引き締まる以上のことが起こっています。意味としては同じでも、意味を纏っているものが違っていると言う感じです。

 

余談ですが、最近意識して少し硬めの靴を履いています。靴底の硬い作りの革靴です。

衣装も大事だと思いますが、今回靴を変えたことではっきりしたのは、靴で歩き方が変わるということでした。

実は最近は何かあると靴底の硬い靴を履くことが多いです。意図的にしています。履きやすい健康靴?まではいかないにしても、履きやすい靴をあえて履かずに硬い靴、つまり歩きにくい靴を履くのです。

靴によって歩き方が変わることはすぐに気づくと思うのですが、健康靴や履きやすい靴で歩いていると、よく言えばリラックスして歩けるのでしょうが、なんとなく自分の癖丸出しでだらしなく歩いていることが多い様です。靴の方が歩き方を調整し、健康な歩き方にしていこともあるかもしれません。健康靴が履いている人にいい歩き方を教えると言うことは本当なんでしょうか。

もうずいぶん昔のことですが、下駄を買おうと、豊橋の名物下駄屋さんに行った時の話です。下駄屋のおばさんは名物店だけあっていかにも頑固そうな人で、開口一番私の顔をみて、「今の若い人は、健康な靴を履いて健康だと言っているが、反対だよ」、と豪語するのです。「そんな靴を履いたら却って足が悪くなる」って言うのです。理由を聞くと、靴に歩くことを全部任せいてるからで、自分ですることがなくなっているからだと言うことの様なのです。初めて聞いたことなので半信半疑でした。

ドイツで高級服を扱っている洋服屋さんのご主人と親しくしているのですが、ドイツでは高級服店に高級履があると言うことは日本であまり知られていない様です。いい洋服を仕立てたらそれに見合う靴を買うのが西洋では当たり前なんです。と言うことで高級靴、つまり全部手で縫ったような靴が大変なお値段で売られています。

その店のご主人である友人が言うには、健康靴を必ずしも薦めないと言うのです。理由を聞くと、面白いことに、あの豊橋の名物下駄屋のお婆さんとほぼ同じことを言うのです。靴に歩き方を任せてはダメで、歩くのはあくまでその人だと言うことの様です。そして今はたいてい大きすぎる靴を履いていると言うのです。ピタッと会う靴を履くべきだと言うのです。

 

桐の下駄は歩き癖がすぐに下駄に出てしまいます。しかしそこからが大切で、自分でその癖のついた下駄を工夫しながら矯正すると言うのです。昔の足はそれをしていたと言うのです。自分の知らない癖を見せつけられるという過酷な修行がそこでなされていた様です。

 

健康靴は自分の癖をカバーして、癖を見せない様にしているので、よくないと言うことなのでしょうか。なくて七癖と言いますが、癖を見せつけられるのもなかなかいいものです。講演している時にはいつも癖で使っている言葉に気づかされるのかもしれません。講演をした後の、心の垢が取れたような清々しさはそのことと関係しているのかもしれません。

 

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