いい声とは通る声

2023年11月19日

声に関しては気がつかないでいることが多いものです。ところが、意外と人生の中で大変大きな役割を担っています。相手にわかってもらえるかどうかの相当の部分が声にかかっているからです。上手な話し方のようなテクニックは、使えば使うほど虚しい結果を産みます。話し方だけでなく、実は声もテクニックで作る声は、聞く方からすると気持ちの悪いものなのです。声は作らなければ作らないほどいいのです。なんとか方式とか言うもので作られた声は、相手にすぐ見抜かれてしまうものです。一番顕著なのが子どもと話をしている時で、子どもの正直な耳は、なになに方式で作られた声は、見事に無視します。大人は子どものようにはっきり顔に出したりしませんが、意識しないところで、嫌な声だと思っているものです。

 

自分の声がダメな声だと思つている人は多いものです。その人たちは、いい声を出したいのです。そのためにいろいろなテクニックの指導をしている先生のもとに走るのですが、私の耳にはどんどん嫌な声になっていっています。皮肉でもなんでもなく、声はなんとか方式で訓練したりしたらすぐに偽物になってしまいますから、聞き手には見破られてしまうのです。そんなふうに作られた声など誰も聞きたくないのです。

いい声なんてないと思っています。いわゆる美声は安っぽい作り声です。ただよく通る声、相手に届く声はあります。ところが、これは発声というレベルを超えたものですから、面倒臭い方法の発生練習をいくら積んてもできるようにならないものです。急がば回れとようなものですから、「こんなことが」と思われるようなものが、一番役になっているのです。

声はその声の持ち主の自意識と関係していると思います。自意識の強い人は大抵作り声で喋っています。みっともないくらいの作り声です。本人はいい声で喋っているつもりなのでしょうが、私的には悪声です。

 

人に向かって話す人には通る声、相手に伝わる声で話していただきたいです。アナウンサーという職業についていらっしゃる方たちは、訓練された喋り方をしているのでしょうが、訓練された分つまらない喋りになっています。声をいじるというのは、自意識に近づけるのですから、固まってしまいます。固まった声ほど聞きにくいものはありません。極端に比較をすると、ヴァイオリンを初めて弾く子どものから聞かれる音のようなものです。ノコギリをギイギイと擦っているだけですから、音楽的な音になっていません。聞きにくいだけではおさませない、詰まらなさがそこにはありますから退屈な声です。

まずは声のことを外枠から見てみました。

 

 

声を輪郭的に描いてみました。

最後にロシアの方が「お前はいい声しているから牧師になれ」というのは含蓄ある言葉です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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