ブログを書くことと、シベリアの強制収容所のネジ作り
かつてのソビエト連邦共和国には、冬は氷にと座取れるシベリアの地に、政治犯を送り込んだ強制収容所と言うのがあり、そこでは強制労働が課せられていました。政治犯が三つに分けられ、一つの班は大きな穴掘りが命ぜられます。二つ目の班も穴掘りが命ぜられていたのですが、そこで掘り出された土で、第一班が掘った穴を埋めたのです。そして第三班も同じように穴を掘らされ、その土を第二班が掘った穴埋めにしていたのです。そして第一班に戻ってくると再び別の穴を掘るように命ぜられ、その土で第三班が掘った穴を埋めたのです。
常識で考えればなんと意味のないことをするとかと言うことになりますが、政治犯の強制収容所、強制労働という常識では考えられない世界で、犯罪者に課せられた非常識な過酷な労働でした。そこからは当然の如く大量の病人、死者が出たと言うことです。
ある時、強制労働が穴掘りからネジ作りに変えられ、穴掘りはなくなったそうです。そしてネジ作りに変わってからは死ぬ人の数も病人の数も減ったということです。穴掘りという、どう考えても無意味な行為を繰り返していると人間は全く希望を失しなっています。ところがネジ作りというのも単純で簡単な作業で一見意味がない様に見えるのですが、空回りしている穴掘り作業とは違って作られたネジは強制収容所から出て、一般社会の中で何かの役に立っているわけですから、労働に励みが生まれます。穴掘りというただ空回りをしている労働から、社会の何かの役に立っているという背景は、労働に全く違った意欲をもたらす様です。
私は十年ほどブログという手段を使って、その時々に思うところを書き綴っています。駄文だと言われればそれまでですが、私にとっては、同じ内容をただメモとしてコンピューターの中に保存しておくのと、ブログとして、未完成を承知で発信してどなたかに読んでいただいているのとでは、大きな違いがあるのです。ソビエト時代の強制収容所のネジ作りの様なものです。私のブログが何かの役にたつかは私の知る由もないことですが、読んでいただいているというだけで、心の中が吐き出され、また新たな考えが頭の中に芽生え始めます。精神衛生上とても良いことだと思っています。
実に取り留めもないことを書いていると思いつつ、こんな文章でも読んでいただけるのだと感謝しています。いつも付き合っていただいているブログの読者の皆様に改めて感謝いたします。