かつての、今の、そして、これからのドイツ

2023年12月9日

私は昭和52年にドイツに渡りました。西暦では1977年になります。振り返るといろいろなことが随分変わりました。私の身近なところからいうと当時は福祉関係の仕事に若者たちが随分集まってきていました。

最初の五年間はある施設で働きながら勉強していたのですが、今思い返すと、最後の年あたりから制度がいろいろなところで変わっていきました。障がい者には以前と変わらず補助金が支給されていたのですが、点数制度が取り入れられ、今までのどんぶり勘定のようなものは消えてなくなりました。結果的に見ても支給額は大幅に減らされたのです。この制度はしばらくすると日本でも実施されるようになっていました。ここらあたりが一つのターニングポイントだった様です。若者たちの意識にも変化が見られました。

かつてのボランティア精神は薄れ、だんだん打算的になってゆきました。福祉施設で働くといわゆる内申書がよくなると言うようなことが平気で口にされる様になってきました。それまでは、自分でいいと思ったことを、深いことを考えずに実践している様に見えたのですが、その頃から、施設の制度が古いから変えるべきだとか言いながら、古いしきたりを改革して、自分たちが働きやすいようにしたいという動きが活発になったのです。施設内でも古い人と新しくきた人たちの間で食い違いが多く見られた様です。日本人である私は、概要は理解できるのですが、日本人としてその施設で生活するには、古い制度でも、若い人たちが提唱する制度でも本質的には大差がなかったのです。

並行してドイツ人気質の良さがだんだん薄れていっている様には感じていました。職人気質という点では日本的と言ってもいい様です。職人ですから商売が下手で、そこになんとも言えないいい味が醸し出されていたのですが、どの分野にもビジネスという言葉が入り込んできて、うまくマネージメントしなけれはならないと、経営セミナーのようなものが目立つ様になって行きました。みんながガツガツし始めたということのようです。

それでも物作りの精神が生きている間は、どこか健全な空気が漂っているものです。物作りの本質は、いろいろな問題を抱え込むと言ってもいいわけです。編み物ひとつにしても、毛糸選びから始まり、それにふさわしい針の太さを決め、どのような目で編んでゆくのかなどを決めなければなりません。ひとまず決まると準備が整ったわけですが、それで編み始められるかというと、まだ色々とあります。目をどのくらいきつく編むのかなどは経験からしか説明できないものですが、初心者にとっても同じ様に大切なことなのです。こんなところで躓いていると前に進まないものです。

物作りは手順が整ってから始められ、さまざまな難問にぶつかり挫けながら克服して行くというプロセスです。問題は山積みです。まさに人生そのものです。ものを作らないですませるという時代がドイツでも始まってから、ドイツは変わっと思います。つまり物は作るのではなく、買ってくるものになってからは、問題がお金の問題になってしまい、みんながお金持ちになりたくなる時代が到来します。

ある人が靴下を編んだとします。そこには大変な工程があることはやった人は知っているのですが、やったことのない人にとっては、「靴下を編んだのですね」という一言で終わってしまうものなのです。買って来ればいいので簡単なことです。苦労はないので、実際に編んでいる人の苦労などは雲の上の出来事で想像が付かないのです。

買ってきた靴下しか知らない人は、「靴下」あるいは「靴下を編む」というのは完結している一つの概念です。料理も同じでお店で惣菜をかつてくればすぐに食べられますから、作らないで済むわけですから、失敗もないのです。食事が、一つの溺愛のもの、つまり概念になってしまったのです。全てお金があれば順調ということになります。これも概念的生き方で、苦労のない生き方です。問題としてあるのは、買うためのお金があるかどうかだけなのです。

消費生活になるとなんとものっぺらぼうのような生き方に変わってしまいます。苦労して作るというところに、問題があり解決があるので、その解決の積み重ねが人生と呼べるものの様な気がします。今は解決を知らない世代です。解決を通り過ごしたい世代です。だから人間の顔がのっぺらぼうです。

これからのドイツはどうなるのかと考えると、私にはいつかまた、ドイツ人が集団で行動する日が来る様に思えてなりません。第二次世界大戦前のドイツが再び来ることは相当の確率で言えると思います。当時の問題は一人の総督が、独裁者として君臨したことではなく、それをドイツの人たちが進んで望んだというところにあるからです。ドイツ人の中にはこうした集団行動への憧れが見え隠れしながらうずくまっているのです。一時期はユーロー共同体も巻き込んで集団行動のほうに引っ張ろうとしてた様ですが、今はとりあえず息を潜めています。一見正しそうなことを、偉そうにいうのがドイツ人ですが、その裏には恐ろしい力で集団行動に向かいつつある、なんというのか大馬鹿が生きています。

昨今の、ドイツ全体を挙げての電気自動車ブームを煽っている姿は、集団行動の前兆に見えます。ただこれは幸いなるかな、中国から安い電気自動車が入ってきて、ドイツの産業が揺すぶられてうやむやになってしまいましたが、中国を弾き出した後次にどんな手を打ってくるのかとヒヤヒヤしながら見ています。

誰が見ても馬鹿馬鹿しい盲目的集団行動はドイツ人の憧れだと知っておいていいと思います。

コメントをどうぞ