日常と非日常 マーラーについて
音楽家のグスタフ・マーラーは1860年に生まれ、1911年に亡くなっています。
去年、今年と商業的にマーラーの年、「マーラー年」としてマーラーにちなんだものがいろいろと企画されています。
こうした形の企画に感謝するのは、今まで埋もれていた沢山のマーラーの録音に接する時です。
さて私のマーラーの年をすこし報告します。
ここ数年はマーラーの音楽がとても近い所で響いています。
その前は、「何だこの音楽」と見向きもしないほどでしたから、豹変です。
いまはしっかりとはまりこんでいて、「この人私が求めているものとよく似たものを求めているんだ」となっています。
マーラーは未知の世界に繰り出した大きな船の様です。
今までの音楽が住んでいた土地を離れるわけですが、別の道を陸の上に探すのではなく、海で出てしまいます。
しかも、小舟で岸をちょっと離れてみたのとは違って、大海原の波に堂々と向かってゆきます。
そこで大波を受けるのでが、マーラー船は大きいので沈むことなくどんどん進んでゆきます。
マーラーを聞く楽しみは彼が出会った大海原での出来事の追体験様なものです。
アダージョと名付けられた楽章を聞いていると、深い静けさの中を漂っているようです。
この深さは海の深さで、陸では味わえないものです。
この深い時間の体験がマーラーの一つの特徴です。
ところが大海原ですから、予想の付かないものがやって来ます。しかも突然やって来ます。
マーラーの音楽の特徴はこの大海原の突然性です。
それまでの陸の上を歩く音楽を聞き慣れていた耳に、マーラーの音楽、海の音楽はとても異質なものでした。
思い返すと、船酔いをしたのだと思います。
マーラーにはもう一つの特徴があります。
マーラーは昼の音楽、彼の音楽を、「昼の光の中の光」と呼んでみたいのです。
新しい光を見つけるというと、たいていは夜が主体になります。
文学的にはこれが常套です。夜の闇の中に光を見つけます。
精神修行でも、真夜中に光を見るという様な事がいわれます。
これがロマン的神秘です。
マーラーのように真昼間の光の中にもう一つの光を見るというのは稀です。
マーラー以前にも、マーラーの後にもまだこの光を音楽で聞かせてくれてものには出会っていないようです。
オスカー・ワイルドが「今見えているものが一番不思議だ」という言葉に通じるものがある様な気がします。
ありきたりの日常の中に、非日常を感じることかもしれません。