抽象化されたものと医療の未来
抽象的ということを言い出したら現代人の生活は抽象化されたものに取り囲まれています。抽象化というのは仮想現実と言われるコンピューターによるバーチャルな世界に通じるものだとも言えそうです。コンピューターの出現はそうしたものを加速化させ増幅しただけで、抽象化というもの、仮想現実というものはコンピューター以前からあったものなのです。
音を見てみましょう。音はどんどん抽象化されたと言えます。そして音楽という独自の世界を作り出しました。現代人はそうした抽象化されたものが当たり前になってしまいましたから、改めて言われないとそのことに気づかなくなっています。丸太を叩いてリズムを刻んでいた遠いい昔から比べると今は極度に抽象化した音を使って、音楽というこれまた抽象的な世界を楽しんでいます。
言葉というのは実は抽象化された最たるもので、特に小説などは時には非現実的な言葉を用いて読者に臨場感をもたらしながら現実に似た世界を描くのですから、相当高級な芸術的技量です。嘘と真実の間を行き来している魔術師です。
同じ言葉でも使用説明書のようなものは現実にぴったり寄り沿って言葉が使われているので、わかりやすですが、文学と言われる世界に入ると、使われている言葉は抽象的ですから、読者によっ感じ方が違ったりして、理解が難しくなります。ますます現実離れしてきます。
芸術はこのように全て抽象化するプロセスを通っていますから現実だけを見て事足りている人たちからは距離ができてしまい、悪く言えば現実離れした遊びと言われてしまうのです。昨今は芸術などという言い方よりアートという言い方が好まれますが、基本的には抽象的な遊びには変わりないのです。
芸術を治療的に使おうとしている動きがあります。芸術治療という世界ですが、音を使ったり、色を使ったりして、患者さんに働きかけようとしています。医療としてはいまだに正規の治療法として十分認知されていないですが(日本は特に)、外科の手術とは違い、回復がはっきり証明できるものではないので、曖昧さはこれからも払拭できないと思いますが、例えば音楽に感動したり、絵画に接し深く感銘したりすることは否定できない事実で、音とか色、音楽や絵画が私たちに何らかの働きかけをしていることは確固たるもので、しかも何千年もの間人類は紛れもなく音楽や絵画を必要としていたのです。それは私たちの内的栄養だったからだと言っていいはずです。これだけでも芸術治療は有効な手段だと言えるのではないかと思います。
人間は抽象化されたものから現実に栄養となるものを摂取することができる不思議な生き物なのです。この点からも医療が見直されていってほしいものです。