メディアの魔力

2024年4月19日

北海道の伊達に住んでいる友人が昭和新山の麓の雲仙の火山が激しく活動した時に、自宅から洞爺湖の湖畔の様子が見えるのに、テレビで中継されている方ばかり見ていたと言っていました。そのほうが臨場感があって、ついテレビに食い入ってしまったと話してくれました。肉眼で見ているものよりも、テレビに映された映像の方が本当になってしまったのでしょうか。

この話には今の時代の特徴的なものが反映されている様に思えて仕方がないのです。どのように説明したらいいのか迷ってしまいますが、大勢の人と共有しているという安心感の様なものがメディアを通すことで生まれているのかもしれません。自分が見たものからだけで判断する自信がなく、他人に依存するというスタンスです。自分の目で確かめただけではそれが本当かどうか確信が持てないということでもあるのでしょうか。情報社会の落とし穴と言っていいのかもしれません。

その反面、今のメディアのあり方を見ていると、それはプロパガンダの道具であり、社会的洗脳のためのものでありという本来の役割から外れたものになっているような気がします。真実を伝える手段というのはとうの昔に返上してしまったようです。しかし今でもメディア信仰は衰えることなく、それはYouTubeへと移行して、プロパガンダ普及のために大活躍です。

このことは別に今に始まったことではなく、もう何百年も前にグーテンベルクが印刷の世界に大量印刷という技術を見つけた時にも、彼の信じた「聖書によって世界に真実が伝わる」という願いとは裏腹に。すぐにプロパガンダの道具に使われ風評か広がるわけですから、時代と手段は変わっても基本は変わらないようです。

人間というのは自立しないのでしょうか。自分を信じきれないのでしょうか。そして自立したかと思いきや、一人が不安になり鬱になってしまうものなのでしょうか。天上天下唯我独尊という尊い潔い姿は、人間の儚い理想にすぎないものなのでしょうか。

 

自立、独立というのは自分を主張することではないと思っています。むしろ自立すればするほど他人が見えてくるものだと思うのですが、どうも自己主張の傾向は今でも強く、自分と他人とのバランスは悪く、自分だけにフォーカスしているようです。

自我の本来の姿は自分と他人のバランスだと思っているので、どうやら自分が可愛く思えて仕方がない時代はまだしばらくは続くようです。。

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