雑学の大家
話の面白い人は決まって雑学が豊富です。よくもこれだけたくさんのことを知っているもんだと感心してしまいます。
以前にそうした雑学人に、どうしてそんなに沢山知っているのかと聞いたのですが、答えは、たくさんの人と付き合うからということでした。自分でがむしゃらに勉強したことって案外つまらないものなのだそうです。人から聞いたことっていうのは、直感の様なもので向こうからやってくるんです、ってことでした。
雑学は向こうからやってくるはけだし名言でした!
雑学というのは、どうでもいいと言ってしまえばどうでもいいことばかりです。その知識に方向性がある訳ではなく、ベクトルの定まらないものですが、その漠然としたところに魅力があるような気がします。
シュタイナーを読んでいると恐るべき霊的雑学に目眩がするのです。一見バラバラなことがあるときまとまってしまうのです。まさに名人級です。ですからシュタイナーの講演は音楽を聞くように読んでいます。
実は音楽にも雑学的なものがあると思っています。私達は有名な音楽家の作品を聞くことが多く、それに慣れているというのか、慣らされてしまっていて、そういうものだと聞き流してしまいますが、ラジオを聞いている時に、無名の作曲家の作品が流れることがあり、聞くでもなく聞いていると、つまらないのです。何がつまらないのかと言うと、聞かせどころばかりがつながっていて、無駄がなく息詰まってしまうのです。それによって曲全体というものが見えてこないのです。
偉大な音楽には、特に大曲などでは、誤解を覚悟でいうと、雑学みたいなどうでもいいフレーズが散りばめられていて、それだからこそ聞かせどころが輝いて聞こえるのです。全体に余裕があるのです。音楽が全体として聴けるのです。
雑学というのは余裕であり、しかもユーモアでもあります。ですから音楽も、お話も、講演もそれによって滔々とながれます。これは紛れもなく豊かさに通じるものです。
ためになることばかりでなく、雑学がたくさん詰まった大袋をしょって生きてゆきたいものです。