浜松の楽器博物館
浜松に住む中学の時の友人を訪ねがてら楽器博物館に足を運びました。
浜松にはヤマハ楽器と河合楽器があるので、ここに楽器博物館があるのは半ば必然の様な感じがします。二つのフロアーにはぎっしりと古今東西の楽器が敷き詰められていました。
楽器というのは、ある時ある文化の中で生まれているのだという事実に感動しながら広い会館を歩きました。生まれるだけではなく、消えてゆくという運命も印象的でした。
打楽器と笛はいつの時代も盛んに演奏されていたようで、その勢いは今日にも受け継がれ至っています。古くは部族をまとめるための祭りの主役だったりもした様です。戦争の時にも大活躍で、太鼓とラッパから成る鼓笛隊は戦場でも欠かすことのできないものでした。鼓笛隊とは比べ物にならない規模のブラスバンド熱は今もますます盛んな様です。
弦楽器も数多く展示されていましたが、それらがどのような役割を文化の中で果たしていたのかは読み解けませんでした。弦がどのように張られ、どのように演奏されたのかは知る由もない訳です。歴史的な弦楽器では、一番知りたいところが欠如しているのはかえすがえす残念でした。ただ演奏法はうかがえて、古い楽器では弦を爪弾いていた様です。その後弓で擦りながら音を出すものに移行し、今日のヴァイオリン族に至っています。その一方で、ピアノが登場します。はじめは弦を引っ掻いていたのがハンマーで叩くものになり今日に至っています。厳密に言うとピアノは打弦楽器ですから、打楽器への先祖返りと見ていいのでしょうか。
弦楽器は、歴史的には擦るヴァイオリン族が主流になりましたが、爪弾くという演奏法はいつも見られ、二十世紀に入ってギターが注目される様になってからは、爪弾く楽器が人気を集めている様です。ハープ、リュート、チターと多彩な世界です。
博物館にはライアーはありませんでした。
私はライアーがどのような位置付けに置かれるものなのかとよく考えます。弦楽器とはいえ、ギターやハープとは違うものだと考えています。
この楽器は、今までの楽器のように、作曲された作品を奏でるためだけにあるのではない様な気がしています。もちろんライアーで弾かれた曲には、そこでしか味わえない、引き込まれるような味があります。
それ以外の可能性はまだ予感程度にしか垣間見ることしかできないのでしょうが、これからが楽しみな楽器の様な気がしてなりません。