美とは何か
哲学を語るのが好きな人たちで作っていた哲学の会という、ハイデルベルクでの集まりに定期的に参加していた時に、美をテーマにして話し合ったことでかありました。それぞれに言いたいことを言っていたので、特にまとまることもなく、深く進展することもなかったと記憶しています。結論めいたものを求めていた人もいなかったのです。その中の一人が美は真理の別の現れと言っていて、それ聞いた時にはなるほどと思ったのですが、よくよく考えてゆくといつの間にかどちらも霧のように消えてしまいました。
私にとって美というのは消えていってしまうものではなく、確実に手応えがあるものなのです。ものとして掴めるものではないですが、確実のあるものです。絵を見ている時、存在感のある彫刻に接しているとき、これが美だと、美を感じることがよくあります。直感的なものです。自然の中にいて、自然の美を感じることもあります。自然に美を感じるのか、自然が美なのかはよくわかっていませんが、自然は美を包括しています。
ところが音楽を聴いている時に美を感じることがないのです。私には音楽は美とは関係なもののようです。美しいものではないのです。音楽というのは芸術の中で、他の芸術と少し違っています。では音楽をなんとして受け取るのかということですが、音に包まれて自分が無重力の状態になることで、音楽と一体感を感じる時です。それが一番気に入っている音楽体験です。受動的でもなく、能動的でもなく、中動的というのかもしれません。なるがままにという感じです。
自分が消えて音楽だけがそこにあるような感じをよく音楽を聞いていて体験します。そもそも音楽というのは時間の中を流れてゆくので、その体験は流動的で、他の芸術のように定着していないから消えてしまいます。絵とか彫刻は違います。それらの美はそこに在り続けるので、静止した時間の中で存在を放っています。
美は綺麗とか、煌びやかとか、装飾的なものとは別のものです。そういう捉え方から美は定義されてしまっています。美はどちらかと言えば質素でストイックなもので、しかも野放図です。あってないような存在です。存在感を感じるというのは、対峙しているのではなく、その存在と一つになってしまうことで、客観的なものではなく、どちらかというと主観的なといっていい体験です。結局美というのは各自の尺度の中にあるのですが、全く主観的とも言えない曲者です。
先日のブログでは美を心の中の光に例えたのですが、美とは質素なものなのに光り輝いています。そして二つの方向性があり、一つは過去に向かっていて、懐かしいという感触です。もう一つは未来に向かっていて、そこから生きてゆく力を汲み取っています。
私にとって美は真実の別のあり方と捉えるより、ずっとユーモアに近いものです。コンコンと湧き出ずる泉のようなもので、乾いた喉を潤してくれます。
これ以上書くと話が壊れてしまいそうなのでここでやめます。もしかしたらもう相当壊れているかもしれません。またいつか書けそうなものが湧いてきたら書くことにします。