リズムの復活
音楽の基本はメロディーとリズムです。
今日の音楽を見渡すと、主流はメロディーの方で、リズムは目立たない存在になっています。ビートという形として残ってはいますが、リズムを感じ享受する感性は退化していると思います。
音楽はもともとは言葉から発生したものだと色々な研究が報告しています。その言葉ですが、もともとはメロディーとリズムが備わっていたものだったのです。
ヘブライ語は3000年くらい前の言葉ですが言葉そのものがすでにメロディーとして歌われたと言われています。ヘブライ文字は今日の楽譜でもあったのです。ほぼ同じ頃のギリシャ語ではリズムによって詩が作られていました。多種多様なリズムの形は今日では想像できないほどのヴァリエーションを持っていて、それぞれのリズムは詩の内容にふさわしいものが使われていました。それらは歌われ、そしてそのリズムで輪になって踊っていたのです。今で言う輪舞です。それをコロスといったのです。コロスはその後色々に変遷して、ギリシャ劇の中で劇の筋書きを歌で説明するものとして活躍しました。日本の能楽の謡と同じです。
キリスト教の教会の建築様式にもコロスの名前は残っているほどです。教会建築は二つの部分が組み合わさっているもので、祭壇のある丸天井のあるところをコア、コロスといい、長く伸びたところは船と呼ばれています。ちなみに船とはノアの方舟の船底のことを意味しています。丸天井を見上げるとそこには楽器を持った天使達が輪踊りをしていますが、それはギリシャ時代のコロスの名残です。
詩というのはリズムに合わせて踊ったものなのです。リズムには体を動きに導く力があって、詩を歌いながら踊ることができたのです。ヨーロッパで生まれたバラードというのももともとはコロスと同じで詩を読みながら輪になって踊ったものでした。今日ではショパンのピアノ曲に名を残しているにすきないようです。メロディーにはリズムのような体を動かす力はなく、頭脳的、知的な方面に刺激を与えるもので、思いや心を整理するためのものと言えそうです。
日本に限らず昔は職人さんたちの世界では共同作業をする時には歌ったもので、杜氏たちが仕込みをする時に歌う歌があったり、棟上げの時に歌う歌があったりしました。漁師が網を引き上げる時にも歌があってみんなで力を合わせる時にはリズムがまとめたのです。
現代にリズムが衰退したのは、仕事の仕方が変わってしまったことも大きな要因です。物作りは工場での大量生産に変わり、多くの人がコンピューターの前に座っているのが現状です。
リズム体験というのは、メロディー体験とは違うものです。メロディー体験は知的なものですが、リズムはどちらかというと体感的で無意識に感じているところがあります。西洋音楽になれた耳にはまずメロディーが入ってくるのではないのでしょうか。そのメロディーを支えているリズムの方に最初に耳を傾けるということは、今日では稀だと思います。メロディーを生かすためのリズムという位置づけかもしれません。
リズムがどのようにして生まれたのかというと、生命を支えている呼吸と心拍からです。呼吸は一分間に十八回、心拍は七十二回で、二つの関係は一対四となります。こうしたリズムの中で生命活動が行われているのですがこれらは無意識の中で営まれいるもので、私たちが意図的に働きかけることなく死ぬまで動き続けています。
バッハの器楽音楽の特徴はリズムの変化を避けているように感じています。その代わりにメロディーを強調しているとも言えそうです。メロディーを浮き彫りにする現代の音楽志向、音楽傾向がバッハに特別大きな関心を持つのはそのためかもしれません。リズムをひかえるとメロディーがはっきりと浮き彫りになります。リズム持った音楽は体の動きを誘発しますから、知的には集中力が拡散してしまいます。そうなると知的なものではなくなってしまいます。古い音楽の名残と言われるのもそのためのようです。スペインのチェロ奏者カザルスがバッハの無伴奏チェロ組曲を初演した際には、どろっ臭いと酷評した批評家がずいぶんいたということです。彼の抑揚のある演奏は好まれず淡々と抑揚なく弾く方が垢抜けしたバッハということだったのかもしれません。
特に機械社会の中ではリズムを持った動きは機械から嫌われるものです。機械は複雑なリズムが苦手です。単調な流れでないと機械の故障の原因になってしまいます。リズムを育てる社会的環境はますます貧困化しているのです。
リズムはこれからもメロディーの影に隠れたままでいるのでしょうか。それともまたいつの日かリズムへの憧れが人間の中に目覚め、人の輪を作る躍動感のある生き生きとしたリズムが蘇ることがあるのでしょうか。