青空の向こう
2013年3月29日
青空が久しぶりに覗いた。そして真っ白な雪景色の上を太陽の光がまぶしかった。
三月も終ろうとしているのに今日も氷点下の世界です。
青空を見ているとあの透明感に感動する。
そして希望が湧いてきて、あの青の様に透明な自分になろうかなんて夢の様なことを考えてしまう。。
青の向こうは何かというと闇だから、透明の条件は闇ということになるのだろうか。
なんだか違う様な気がする。
もう一度、青の向こうは闇。これはどう言うことかと言うと、宇宙は真っ黒な空間だということは、最近の宇宙からの通信などよく見るので知っていると思うが、あの闇はただの闇ではなく、光に満ちた闇という特別なものだ。この闇の中にほっんと物体が浮いていると、たとえば付きの様なもの、そうすると突然光出す。月の光は月に当たるまで、見えないものだった。
見えるとか見えないというのはとても曖昧な定義で、見えていると思っているものが見えていなかったりするものだ。
みんなが見えていると思っていると見えていない人がいるので驚くことがある。
見えるというのは意識の反映だから、目があるから見えるというのではない。目が見えない人が見えということもある。
青空を凝視してみた。もしかしたら闇が見えるかもしれないと思ったから。しかし徒労だった。闇は見えてこなかった。
ピカソが青の時代を通り過ぎて、キュビズムに辿り着くのは、闇と関係があるのだろうか。
勿論深すぎる関係がある。
青が色の中で一番シンプルな感じがする。だからだろうか、青を着こなすのは難しい。青のワイシャツ、セーター、背広、どれも私に似合わないものばかりだ。
青の透明感がわたしには欠けている様だ。
でも、せめて青が似合う様にくらいはなりたいものだ。