des Todes sterben 死と向き合う
中世のドイツでは死は別物でした。言葉遣いにはっきりした違いが伺えます。
何が違うかと言うと、死を運命として受け入れていて死ぬべくして死ぬ、そんな意味合いの表現がされたのです。
父が死ぬはMein Vater starb des todes となります。直訳すると「父が死を死ぬ」と言う変なことになりますが、「父は死ぬべくして死ぬ」と言うことです。
現代のドイツ語ではan etwa sterbenで、死ぬには死因が必要になって来て、anで表します。病死、事故死、殺害、老衰のいずれかで死なないと死ねなくなっています。この違いは言語的に見れば中世高等ドイツ語と現代高等ドイツ語の違いですが、文化的、精神的な生死観の違いから来ています。
先日アーサー王伝説を読みました。読んでいる時にこんな話しをどこかで読んだことがあると思い出したのが平家物語でした。それで平家物語も読んでみて本当によく似ていると感心しました。話しの筋は全く違いますが、そこで展開されている生きること、死ぬことの扱い方がよく似ているのです。中世は世界がまだ一つだったのではないかと言う考えが脳裏をかすめました。中世の思想家マイスター・エックハルトの本を読んだときにも、これが西洋のものなのか東洋のものなのかが区別できないような考え方が沢山ありました。
ヨーロッパでは同じキリスト教社会なのに、中世と現代では生死観が違います。何時の頃からか、死は追いやられ、死因だけがのさばり始めます。そうなると死の意味が、死のとらえ方が変わってしまいます。いや、死のとらえ方ではなく生きることの意味が変わってしまったのです。死因と言うのは生きる側に取って必要なものです。生きることが死を切り離して考えられる様になります。生きることはかつては死を内蔵していたのに、今は生きている間だけを見てそれを充実させようとしています。これが唯物的な考え方の基本です。
唯物的世界観が克服されるとき、それは生死観に如実に表れます。死因だけでなく、死そのものを真っ正面に据える様になります。死後の世界もそこには関わって来て、しかも死から生を照らす様になります。生きていることと死がバランスを取り戻します。
それは死んだらどこへ行くとか、前世は誰だったと言うこととは違います。それは唯物的な延長です。
死の意味が違って来るのです。生前の向こうの世界からこの世に生を得て生まれてくるとき、向こうの世界的には死を経験してきたわけです。死は同時に誕生です。この世的な死は向こうの世界からすれば誕生です。
生と死とに分けられた人間の存在のあり方には意味があるはずです。
死は生を刺激します。「死して生まれよ」は意識的に死を通り抜けて、より明確な生きる姿を見つめることです。必死でと言うのは、死んだつもりになって一生懸命すると言うことです。死から生を照らしたとき、生は生き生きとしたものになります。死がなく、もし生通しになって、ずっと生きているとなるとどうなるのでしょうか。それは永遠とは違うものです。
永遠に一番近いのは、「ずっと」と言うことではなく、極度に集中した今なのではないか、私はそのように考えます。生と死を見つめることから永遠と今というものが浮き彫りになって来ます。今と言うのは刹那的な今ではなく、筋金入りの生と死をふまえた、死から生を照らしたものです。