ライアーの絶対テンポ
今回の録音の時にもテンポのことを考えさせられました。
録音中は、音楽が要求しているテンポとライアーが持っているテンポの間に立たされていました。
私のライアーは1960制のゲルトナーのアルトライアーですから、とても豊かな余韻と、残響があります。できるならその残響の中で、たっぷり音楽をまとめたいのです。今回の録音の時にも気持ちは同じでした。
私のライアーのもう一つの特徴は弾いた瞬間よりその後になって音がよくなるというところです。倍音が豊かなのです。弦をはじいた後の方がふっくらとした丸みが出て来るのです。もちろん弾き方にもよりますが、私はこの楽器を通してこの音の響き方に出会いました。めったに出会えないものです。ですからこの響きを大切にしたいのです。
さて、この二つの特徴を生かす様に今回も演奏したわけですが、どうしても音楽が要求しているテンポよりゆっくりになってしまいます。
このことは弾いている時にはあまり気にならないのです。と言うのはライアーが一番気持ちよく響いている状態を作り出して弾いているからです。ところが録音して、今度は聞き手として自分の演奏を聴く段になると、どうしたものかという疑問が湧いてきます。どちらを優先させたらいいのか、というところで悩むのです。
メトロノーム的に弾こうと、テンポと拍子を器械的にすると、ライアーの音は薄っぺらになってしまう上、キンキンとした金属音が目立ちます。ライアーが全然呼吸していないのです。それではすぐに飽きられてしまいます。
その様に作られたライアーのCDが随分出回っていますが初めの曲を聞いただけでその後は聞けませんでした。
ライアーにはライアーの持っているテンポがある、これを自分自身に言い聞かせることで、今回も乗り切りました。
ライアーにはライアーが持って来た絶対時間、絶対テンポがあるということです。それで弾くからライアーで弾く意味が出て来るのでしょう。その時間の中でライアーにしかないものが生まれるのです。
余韻を生かした豊かな音楽づくりがライアー演奏の醍醐味だと思っています。
これはライアーを弾く人に是非一度考えていただきたいところです。これを無視して、ピアノの様に弾くと、ライアーの持ち味が生かされないだけでなく、つまらない、貧弱な演奏になってしまいます。ライアーで弾く意味は何なのかという問いかけでもあると思います。
以前に余韻を生かした演奏がもエコーをかけて録音していると勘違いされたことがあります。ある方のブログでそんな記事があったということを知らされたのですが、エコーと言うのは基本的には音を誤魔化す仕掛けですから、エコーをかけると音全体がぼんやりと膨らみはしますが、エコーで音に広がりを持たせることはできないのです。エコーをかけると音が風船の様にふわふわ浮いてしまいますから、聞いていてフラストレーションを覚えるものです。
ライアーの生きた広がりを持たせるためには、やはり音をゆっくり作ることを心がけなければならない、と言うことの様です。指と弦の出会いです。それは人と人との出会いの様なものです。たっぷり出会いたいものです。豊かな余韻を楽しみたいものです。
と言うことで、ゆっくり目の演奏がライアー向きということになりそうです。