世界観としてのライアー

2011年6月29日

世界観はバックボーンのことだと理解しています。

人間が背骨というバックボーンで立っているように、物事は自立するためにはバックボーンが必要だと考えます。

外国語を勉強する時にも世界観は必要です。

会話練習だけでは外国語は用をたすだけのもので終ってしまいます。

言葉は、全ての言葉にはバックボーンがあります。そこを抜きにしては骨抜きの言葉しか勉強できないということです。

とりあえずは手当たり次第本を読むことです。

読み込んでゆくうちに、良い本がどういうものかが解って来ます。

そうしたら良い本を集中して読むことです。

そこから言葉の持つバックボーンが見えてきます。

 

さてライアーという楽器のバックボーンは何なのでしょうか。

音楽です。

ライアーのために作曲されたものだけを弾いていると、外国語を会話練習だけで習得したような狭いものになってしまいます。

用をたすだけで、音楽というバックボーンに触れることはないかもしれないのです。

音楽という海の様な世界の中をライアーも泳がなければ、ライアーは音楽から力をもらえないと思います。

 

同じことは人との出会いについても言えると思います。

似た思想の仲間とだけと付き合っていると、人間としてのバックボーンが作れないのです。

類は友を呼ぶ。これも一理あります。そこで水を得ることもあります。

でもそこに安住すると井の中の蛙大海を知らず、ということになってしまいます。

バックボーンは固定することで強まるのではなく、人間の背骨のように、動くことから、さまざまな動きをすることで強まります。

いろいろな考えの人と付き合うべきです。

 

いろいろな本を読んでみることです。

いろいろな音楽を弾いてみることです。

音楽が深まることでライアーの世界も深まって行きます。

そしてすそ野が広がって行きます。

ライアーが好きという人が増えて来ます。

ライアーを知らない人がライアーを聞く時、演奏テクニックなんか聞いていないものです。

ライアーという楽器で奏でる、音楽としてのバックボーンが聞き手を打つのです。

そのためにこれからもいろいろな音楽家の胸を借りて、編曲を続けて行こうと思います。

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