家庭料理を哲学すると

2013年6月14日

新しい事典を作ろうと思います。

普段の生活の中で当たり前になっている物事に新しい価値を見出すお手伝いをすることがこの事典の狙いです。

題して「日常発見のための事典」。

すこし野暮ったいかもしれませんがとりあえずの仮称です。

今日は試みにいつもお話ししている家庭料理のことを書いてみます。

 

家庭料理

家庭料理のことを考えていると家庭の意味が浮き彫りになります。家庭というものが人生の中でもっている意味です。幼児期を過ごす家庭、勤から帰って安らげる家庭、家族という制度が実際に活動している場所が家庭です。その過程で毎日食べている家庭料理のことです。

特に日本の社会は食べることが家庭生活の中で大きな比重を持っている民族ですから家庭料理は特別な位置を占めているはずです。

家庭料理というのはあまりに当たり前すぎるので、毎日食事をしながら考えることなどしません。子どもたちは、特にご主人は、奥さんが作る家庭料理に対してもう少し感謝してもいいと思うのですが、全く意識が無いものです。まずい時には文句は言いますが、毎日必ず食卓に料理が並ぶことは当たり前だと思っています。

お母さん、奥さんはそれを毎日淡々と、楽しんだり、苦しんだりしながら、時には形相を変えて作り続けるのです。間違いなく修行です。

 

家庭料理。特別に定義づける必要などないかも知れません。いつも家庭で食べている料理のことです。素朴な料理ということもできますし、おふくろの味がするものと言われたりします。味はその家庭で全く異なるものですから家庭料理はこう言う味で作ってくださいとはいえないものです。地方色も豊かです。

特徴は料理にたいてい名前が無いことです。お皿に盛りつけられた無名の料理が食卓に並びます。子どもが出てきた料理に「これなあに」とお母さんに聞くと、帰って来る返事は「いいから黙って食べなさい」というのが一番多く、敢えて名前をつける人もいますが、名前が無くても食べられる料理です。

日本中で一般的になっている料理もあります。湯豆腐、カレーライス、おでん、味噌汁、漬物、野菜の煮付け、好き焼き、鍋一般、焼き魚、等々。

そういうものも、一端家庭に入ると少しずつ変化が生じます。そして家庭料理になって行きます。

お母さんがその日に限って夕方帰りが遅くなって、家に着くなり冷蔵庫を開けて、そこにあるものを使って大急ぎでで作る即興料理も家庭料理と呼ぶことができます。

                                                            続く

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