ユーモア賛 その後
ユーモアの話しは何度しても心が緩んで楽しい気分になりますから、繰り返しがあるかもしれませんが、多くの人にユーモアを持っていていただきたいと言う願いを込めて、今日も書いてみます。
英語でユーモア、humor、を副詞にすると、humored、となります。
その時の意味はユーモアのあるとか、ユーモアたっぷりのというのでは無くて、機嫌がいいになります。be動詞を修飾します。
ユーモアのある人はいつも上機嫌な人ということです。
ウィットの効いた面白い事を言ったり、人を笑わせたりというパフォーマンスがユーモアから出ていることもありますが、基本的にはとユーモアそのものとは違います。ユーモアというのは状態のことなのです。ユーモアというのは見えないものなのです。気が付かないものなのです。ですからある特定の行為をユーモアと呼ぶことはしません。
冗談を言ったり、ウィットのある事を言って、それがその場の空気を和ませたり、楽しいものにする時はユーモアがあるからで、ユーモアが無いと冗談が却って人を傷つけたり、そこまで行かなくてもただ作り笑いで誤魔化されたりしてしまいます。ユーモアが無いと面白いことも面白くなくなってしまいますから、ユーモアには面白がらせると言う様な意味があると誤解されがちですが、ユーモアはあくまで見えないところに存在、そこからいろいろなことに影響しています。
ユーモアがある人は先ず何よりも自分に満足している人です。自分を肯定して、おおらかにゆったりとしています。よく気がつくのですが、あんまり人のことが気にならないので、人の事をとやかく言わない人です。
ああでもない、こうでもないと不満ばかり、いつもぶつぶつ言っている人、他人のことを批判的に言う人というのは自分に満足していない人です。
この二つの違いからユーモアが何なのか感じてみてください。
ユーモアがあるとかないとか言いますが、話しを聞いているとユーモアを誤解している人がとても多いのに驚きます。
ユーモアはその人の性格、キャラクターというものではなくて、人格の中に備わっているものですからとても解りにくく、そのため面白おかしいこと、冗談を言う人がユーモアのある人ということで済まされている様です。
そんなところがあるので、「わたしユーモアがあります」というとヒンシュクを買うのです。
ユーモアは職業にならないものです。仕事としては成立しないのです。ユーモアを売ることもできませんから、ユーモアがあっても御金持ちにはならないですから、ユーモアのある人とお金もちの両方を目指している人は、たぶん苦労するのではないかと想像します。
以前にブログの中で「ユーモアは人間関係に潤いをもたらすもの」という様ないい方をしたと思うのですが(2012.6.12 &14ユーモア賛)、更に言うと遊び心にも通じるもので、他の言い方を探すと余裕とほとんど同じものだと言って構わないと思います。
ユーモアの反対は融通のきかない糞真面目です。この辺りから、面白おかしいことを言う人がユーモアのある人という誤解が生じているのでしょう。ユーモアのある人の事を、人を茶化してばかりいるいい加減な人という風に考えるのは、真面目とユーモアのバランスが解らない人が考えるので、本当はユーモアはとても真面目なものなのです。
ユーモアのある発言はその場の雰囲気を暖かいものにします。
勿論笑いはユーモアから生まれることもありますが、ユーモアは笑いを作るためのものではありません。ここをしっかり押さえておかないと、ユーモアだけでく、笑いが理解できなくなってしまいます。
人をいじめたり傷つけたりすることが、ユーモアから一番遠いいものです。
笑いは福を呼びます。ユーモアも福を呼びます。