声と言葉の魅力 森麻季さんのこと
声は意味を伝える道具じゃなくて、人を包み込む力のあるものです。
人もですが、言葉も包み込んでいます。
声のいい人への憧れは良く耳にしますが、声は普通に考えられている以上に影響力のあるものであることを知っているからだと思います。
そんな中で時々疑問に思うことがあるので書いてみます。
いい声は言葉を美しく包み込みます。
これは私の経験からして間違いありません。
しかもいい声の中で言葉は幸せそうで、いきいきしています。それを聞き手は喜んで聞きます。
クラシックの声楽家の歌う日本の歌と言うのは、そんな中でちょっとだけ疑問を抱かせるものがあります。
何か不自然なものを感じると同時に、焦点があっていない様な気がしてしまいます。
声に問題がありそうです。日本語が美しくないのです。
クラシックの声楽家たちは基本的には西洋の発声法を学んでいます。それで日本の歌を歌うのですが、それは無理なのでしょうか。
私はどうしてもそうは考えたくないのです。
よい発声だったらどんな言葉も歌えるはずだからです。
ベルカントという美しく歌うための発声法をはじめとして、今はいろいろな流派がありますが、日本の歌を歌っていただくと、流派は別にして、その人の発声法がいいものかどうかはすぐ解ります。よい発生は日本語も美しいです。
柳兼子さんのところではそのことを何度か書きました。
日本語が響きの中で嬉しそうに泳いでいる様なクラシック歌手の歌は無いのかもしれないと、you tube で幾つか見てみました。
ちょっと嬉しい発見がありました。森麻季さんの歌う「初恋」は言葉がとてもきれいで、光一杯の声の中を幸せそうに泳いでいました。この石川啄木の和歌自身は幸せなことを詠んでいるのではないのですが、この歌が森麻季さんの声で、言葉で歌われているのを聞いていることが幸せでした。久しぶりのことでしたからとても嬉しくなり他にも聞いてみました。
森さんの歌で他によかったのはYou raise me upでした。英語の発音が綺麗とかの問題ではなく、英語が歌になっていると言う感じです。
先ほどの初恋も日本語が歌になっていました。
他にはプッチーニのオペラ、ジアニスキッキの中のアリア「私のお父様」とヘンデルの「わたしを泣かせてください」が良かったです。