続・思春期 その二、肯定の術
自意識を持つ、自分を生かすためには自分を否定しなければならない。なんと言う壮絶なことが思春期には起こるのだろう。いや、思春期によって始まるのだろう。思春期のあの暗さは、人生を深めるためにどうしても通らなければならない道と言うことになりそうです。
自己否定をしなかった人たちは、できなかった人たちのことを思うと、自己肯定も生半可なものに終ってしまうことが危惧されてしまいます。
それが今回思春期のことをもう一度書こうという気にさせました。
私たちは成人してからも生きることを否定したくなる様な状況に見舞われます。
思春期の自己否定は成人してからもものとは質が違います。自己否定は無防備なところにやって来ます。自殺という悲しい決断に追い込まれて行くことも少なくありません。実際には自殺未遂が多いとはいえ自己否定によって導かれて行く自殺への道は、真っ暗な真夜中の道を冷たい雨に濡れ一人で坂道を下って行く様なものです。私のブログを読んでくださっているみなさんにもきっと経験があることだと思います。
思春期の頃の思い出の中に深夜放送を聞いたというのがあります。私の時代には永六輔さん、久米宏とんと落合恵子さんがわたしたちの思春期を支えてくださっていました。自己否定の中で、私を含めてもがいていた当時の思春期の人たちに、真夜中の三人のトークは一条の光だったのかもしれません。
生まれてすぐに捨てられた人の話しです。
幸いにも通りかかりの人に拾われて病院に預けられましたから一命は取り留めましたが、その後の成長は、人間関係を作るところでいつも躓いてしまうものでした。
何故ここでその人の話しを持ちだすのかと言うと、思春期のあり方が印象的だからです。自己否定が案外勇気につながっていることを教えてくれたからです。その勇気自己肯定と言う力です。
その人は思春期をクリアーできずに一生を送りました。思春期は勿論反抗一色で、人に逆らうことだけを繰り返していたそうです。自分を否定するというプロセスに踏み込めないので、否定する対象はといえばもっぱら他人です。なんでも他人が悪いのです。
ですから基本的にはその人は何かと言うと人に食ってかかり、反抗という姿勢を思春期の時期だけでなくその後の人生でも引きずって、人との付き合いの基本はというと駆け引きで、絶対に負けない方法を必死で考え続ける人生だったそうです。そして誰も信じることなく死を迎えます。結婚して、子どももいたのですが、子どもは自分のものにしておきたいので手放せず、子どもが他の人と人生作ろうとする時になると相手を貶して結婚を破壊します。最後は病院で誰にも見守られることもなく寂しく死んだそうです。
思春期の時に自己否定をたっぷりしていない自意識は、歪曲した自意識の様な気がします。
自己否定は自分を肯定することで思春期に終止符が打たれるのですが、自分を否定しなかった人は自己肯定にも至らないので、常に他の人を否定することが一生つきまとってしまいます。
自己否定の世界から立ち上ってこなかった人、自分を無条件に肯定しているだけですから、自分勝手な人間になってしまいます。
自己否定我できない思春期は、本当の意味で思春期とはいえないものだとも考えています。そこを通らない人は、とても低い次元の自意識をさまよっていますから天然エゴですが、そのことに本人は全く気が付いていないので、周りから見るととても付き合いにくい人です。
その人といえども外の社会の中で生きて行かなければならないわけですが、その人の外の世界との接点は疑惑ですから、いつも打算的な駆け引きが生き方そのものに鳴ってしまいます。
先ほどの方はやはり疑り深い人間だったそうで、他の人のために何かをするなんてことは考えられないことで、ましてや他の人を信じるというのは負けたということに等しいと考えていたそうです。
駆け引きだけ人と付き合うなんて人生は虚しいものです。