水曜版 3 いい加減
最近の十年、二十年のことです。健康への意識、健康を考えることが表だってきています。厳密には今に始まった訳ではなく、昔から健康のことはいろいろに言われていました。ほとんどのお母さんが食事の時に子どもに向かって、よく噛んで食べなさい、お野菜は体にいいから食べなさいと言っています。健康管理の一つで、健康への意識の現れです。わが家でも働き盛りの頃の父は毎朝お酢に卵を入れて飲んでいましたし竹踏みもしていました。みんな健康のためでした。
家庭内の日常生活のやりとりから、ある人突然、何かにつけて健康という文字が目に付く様になってきて、それがいつしか社会的規模で取りざたされる様になったということです。新聞広告を見ると健康という文字であふれています。健康のためのサプリメントがいっとき大はやりでしたが、意外と長続きがしないもので、そうしたサプリメントも今は女性のエステでなんとか生き残っているということです。
その一方で同じ様に病気への関心も高まっています。病人の数は確実に増えています。今までは病気かどうか解らなかったものに病名が付いたとたんその人は病気と認定され、出来立てほやほやの病名を付けられた新病気人間が増えていることも病人増大の原因です。
健康と病気は夫婦です。旦那さんだけでは夫婦ではないし、奥さんだけでも夫婦ではなく、二人揃って夫婦です。健康と病気も両方もって人間は一人前です。陰陽の考え方です。簡単に言うと健康だけの人もいなければ病気だけの人もいないということです。
健康に悪いことを敵視して健康に良いといわれていることだけをしているとバランスを崩します。この敵視が病気を作る素です。病気になることばかり心配しているとそれで病気になってしまいます。私は病院が嫌いでほとんど行きません。理由は、みんな自分の病歴を自慢げに話しながら病気を呼んでいるからです。勿論健康、健康と言い過ぎるのも病気の素です。
ある進学高校で二年生の時の優秀な生徒上位五十人をひとクラスに集めて三年一組として、更に良い結果を出そうとした校長先生の話しです。三年性になって、三年一組の生徒がお互いにしのぎを削って一番をあらそうと思いきや、優秀だった筈の生徒たちの中から落ちこぼれが出てしまったのです。この予想外に校長先生は驚いたそうです。更に予想外だったのは二組、三組の中から一組よりも優秀な成績の生徒が出たことでした。
一つのクラスの中には優秀な生徒と落ちこぼれがあってバランスを取るということだったのです。このバランスのメカニズムは一考の余地ありです。落ちこぼれの部分が人間の体の場合は病気と呼んでいるところです。病気があって体はバランスをとっているということで、その病気を悪者扱いしていると体のバランスはどんどん崩れてしまい、体全体が病気に侵されてしまいます。
私は大病をしてから自分の中の怠けものを可愛がっています。それがなんとか健康を維持している秘訣だと自負しています。いい加減と言うのは、怠け者の部分も請け負った深い考察だったのです。