月曜版 7 私の誕生日観
日本の五月は、鯉のぼりがたち、菖蒲が美しく咲き乱れ、樫餅で端午の節句(子どもの日)を祝い、と元気になる様な晴々した気分があります。五月晴れ、サツキバレ、というのはそういう気分の晴れた日のことで、秋の天高く馬肥ゆる秋の天高くとは違う、初夏の清々しい晴れ渡った空のことです。
思い出の中の五月は、幼稚園の時も、学校の時も遠足です。私は五月生まれですから、遠足の日が誕生日ということがよくありました。でも誕生日だからといってクラスで何か特別なことをするわけではないのです。日本は誕生日を祝う習慣がありません。わが家にも特別に誕生日だからと言って何かをしたことはありません。そういうものだと思っていました。何故だろうと不思議に思ったことも一度もありませんでした。しかしドイツに来てからは逆にとても不思議がられました。ドイツは子どもから老人まで誕生日を派手に祝います。誕生日は私の日という思いに浸っているようです。
私は今でも誕生日が苦手です。私固有の感覚なのか、日本人だからなのか解りませんが、祝うほどの者でも、祝われる程の者でもないと思っているから誕生日を祝うという気にはなれないのです。むしろこんな日がなければとさえ思っているかもしれません。とはいえドイツに来てから一度だけ、日ごろお世話になっている人を招待して感謝するという意味合いで誕生会をやったことがあります。しかしお互いに一度も面識のない人たちをつなぎ合わせるのは至難の業です。誰かがどこかで必ず退屈しているものです。みんなにいい顔をしながら集まった人の間を行き来するのですが、最後は何をやったのか、義務だからやったという感じで終ったものです。
友人の誕生会に行っても似たりよったりの感じです。知らない人たちが紹介されてすぐに知り合いになるわけでもなく、一度招待された経済界の人の誕生会では名刺交換がしきりに行われているので嫌になって、「私は名刺を持ち歩きません」と逃げ回っていました。
ところがこれを自分の子どもに押し付けるわけにもいかず、わが家でも子どもの誕生会を何十回も行いました。小学生くらいまではいつも10人程のお友達を招待して、お昼にわが家の食事を一緒にすることもありました。たいていは午後のコーヒータイムの時間に集まって、プレゼントを開き、招待された子どもたちのお母さんが焼いてくれたケーキを食べて、その後は庭で遊びお開きという感じでした。思春期に入ってからは様子が変わり、集まるのは夕方からで、少し暗くなってからバーベキューの火を入れ、夜中の十二時頃まで音楽をかけながらビールを飲んで祝っていました。ドイツはビールは16歳から飲んでいいことになっています。
日本では還暦、古希、喜寿、卒寿、米寿、白寿と六十を越してからのお祝いが増えます。年を取ること、長生きすることに喜びを感じているのでしょう。私は今年六十三です。元気で長く生きたいものだと以前よりは少し思う様になりました。そう思うと不思議と気持ちが若返り、長生きできそうです。
六十を過ぎてからの誕生日はそれまでと一味違うものを感じます。来年からは日本で誕生日に誕生会でもしようかと考えています。どうなりますことやら、もともと苦手なものですから・・。