わがライアーの音 すなわち心の力 その3
2012年3月17日
このプレリュードは前半が生まれて生きる姿、後半は熟しそして死んでゆく姿のようだ。
バッハの音楽にも珍しい捉え方がここにはある。
音楽は単純な作りなのに、その背景が深い。
この世界像を音にするとき、音楽の表情付けの様なことは却って邪魔になる。
表情はエモーションからの産物だからここでは必要がない。
今の音楽解釈・演奏は表情にこだわり過ぎていて、音がつまらない。
豊かな感情を表現しようとするのなら表情付けは致命的なことだ。
この曲を弾くにあたって、特に、音で弾こう、音の勝負だと決心した。
淡々と、しかしダイナミズムを失わないように弾いた。
心の力を存分に発揮して、落ち着いて、一音一音を心をこめて弾いた。
バッハは音をぞんざいに扱うことがある。
そんなところがジャズに生まれかわっても楽しめる。
無気質とも言える。
ライアーの音はいつも血が通っていてそこにあたたかい命が感じられる。
つまり無気質の正反対だ。
命のぬくもりとバッハは相性が悪いかもしれない。
しかし私はライアーのぬくもりの中でバッハを弾いた。
バッハは生き抜いたと信じている。
こんなバッハは珍しいかもしれない。
しかし無機質なバッハ解釈は、もしかしたら最近の流行に過ぎないのかもしれない。
それは一面的な解釈に過ぎないのかもしれない。
自分のライアー演奏でバッハを聞いて恥ずかしい時もあるが、「これだ」と思うこともある。
ライアーのぬくもりの中のバッハも粋なものだと感じる様な感性が待ち遠しい。
いや、この演奏からもう始まっているのかもしれない。
では、新しいバッハ解釈に乾杯をしよう。
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仲正雄ブログ
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