わがライアーの音 しずくの力
光のゆめは、夢を探求するというものではなく、夢そのものだと思って聞いてください。
三曲目は、バッハのゴールドベルク変奏曲からアリアでした。
録音の時には、始めのソの音が空から降りて来るのを待っていました。
しっかり受け止めなければこの曲は台無しになってしまいます。
ソが二回続きます。
一回目と二回目は何が違うのかと言うと、一回目のソは垂直で、二回目の方は横に広がる様な感じです。
そして三回目の音はトリルを使って音程を一度あげます。
これをメロディーとして弾くのではなく、音の動き、イメージの動きとしていかするのです。
ついメロディーに引っ張られてしまいます。私たちにはメロディーという癖がこびりついているのです。
イメージで音を独り立ちさせる、ここに焦点を当てます。
こういう仕事は楽譜にとらわれてしまうとついおろそかになってしまいます。
ゴールドベルク変奏曲は多くの人によって演奏されています。
ことの発端はカナダ生まれのピアニストグレン・グールドです。
この曲、それまでは知られてはいたものの演奏機会も少なく、ディスコグラフィーも僅かでした。
グールドは1953年から1983年まで弾き続けます。そして、最後にこの曲の真髄に辿り着きます。
感性と知性が融合するテンポで堂々とこの音楽の世界を繰り広げます。
祈りあげると言った方が適切です。
そしてその翌年に亡くなります。
命懸けでこの曲に向かったのです。
ことに最後のアリアのテンポはその後の演奏に画期的な影響を与えました。
私もグールドの辿り着いた頃の演奏から、音とは何なのかを沢山学びました。
ライアーを弾きながら、音が生まれる瞬間に今でも鳥肌が立つことがあります。
それは自分で弦を弾いているのに、音は私が作っているわけではないからです。
音は弦が作ります。だから、どんな音になるのかは毎回違うのです。
そんな無責任な、と言われるかもしれませんが、厳密にいえばそういうことです。
勿論無責任に演奏しているわけではありません。
弦にどんな音を作ってほしいのかは、ある程度私が指示します。
弦の張力を設定します。
そうして音が生まれるから、聞いている方たちも弦から音が生まれる瞬間にはっとなされるのです。
それが感動というものになるのか、音に癒されるという現象になるのかは聞く方次第です。
いずれにしろ、ライアーの弦は引っ張るように弾いたら神経がまいってしまいます。
音が鳴ってほしい時に弦を離します。
これを毎回、どんな音を弾くときにもやっています。
いつ弦を離すのかを決めるのは、楽譜の指示ではなく、心の中のイメージです。
現代は楽譜を過信し過ぎでいます。
楽譜は実に曖昧なものです。
楽譜で伝えると音楽はすぐに違ったものになると聞いたことがあります。
昔のように先生とマンツーマンで伝授されて行くと千年は同じ演奏が続くとも言われています。
何度も楽譜を見て楽譜に感動し、そしてその後楽譜から離れるように努力します。
だから同じものでも演奏は毎回違うものになります。
大雑把ないい方をすれば、その時の気分です。
でもその時々の気分にむらが出ないように心を安定させる必要があります。
心の中に静けさが生まれるように訓練する、それが私のライアー練習の一番時間をかけるところです。
技術練習をすると、いつも同じ、マンネリズムが生まれます。
そうなっては演奏は死んでしまいます。
CDを聞いていただくのは嬉しいのですが、是非私の生の演奏にも触れてみてください。
聞き慣れているCDの演奏とは違うかもしれません。
でもそれでいいのです。
いいというのか、そうでしかあり得ないのです。
それが生きているということです。
自分で演奏してみて、この曲をそれまでより深く感じながら聞くようになりました。
そしたら、この曲全体が雫の様な曲だと解りました。