わかりましたか
わからないから生きて行けるというのが、人生というものを作られた方の思惑の様な気がします。生きることの醍醐味でしょうね。
今はたっぷり唯物的な時代で、神様の様なものは存在しない方が面倒くさくないので、存在しないということにしていますが、神様嫌いな人たちが得意なのは、知っているということ、何でもわかることです。
その人たちにとって解らないことはないのです。解らなかったら駄目なんです、恥なのです。
神様を信じている人といない人の違いは何かというと、着ているものではなく、食べる物の違いでもなく、ましてや産んだ子どもの数でもなく、背の高さでもなくて、何かというと、わからないことをわからないとして大切にできるかどうかということです。
「わからない」と言っても、わからないが捨て台詞になるようではまだ修行が足りません。
わらないまま、わからなくてもいい、それで生きて行けるというのは、ただ生きて行けるというのではなく、充実して生きて行けるというのは、自分以上のものを信じていないと出来ない芸です。
神様なんてという人たちは、わからないことに耐えられないのです。自分しか信じていないですから、わからないと言ってしまえば、自己否定になって、世界が消滅してしまうからです。
これからの学校教育はこの「わからない」というスタンスを人間の生き方として示唆することができなければならないと考えるのですが、そんなことを教育者の人たちに言おうものなら「恥知らずめが!」とお叱りを受けてしまいそうです。教育者はわからないことに耐えられない人がたいていなるものだからではないか、そんな気がしています。
わからないでいる時、自我が一番活発に働いていると、さり気なく言えるシュタイナーという人はいいですね。