わがライアーの音 魂をえぐる

2012年3月20日

五曲目を書く前に言っておきたいことがあります。

ライアーの音、ライアーが願っている音のことについてです。

 

ライアーの音をもっと深いものだと考えています。

なんとかそこに辿り着きたいのです。

深い音がライアーにはある筈です。

それをできることなら弾き出して多くの人に届けたいのです。

 

それなのにライアーという楽器に振り回されている自分がいます。

ワークショップの時に、ライアーのことも、弾き方も、それこそ何も知らない人が、初めてのライアーをポロンと弾く。

するとライアーが無邪気に鳴る。

それはそれで美しいと思います。

それで完成している様な気がします。

その音に感動してライアーを買ってしまった人だっているのですから。

ライアーの無邪気な音にはそれなりの魅力があるということです。

しかしそれではライアーが満足していないはずです。

そのことが解ってからライアーの音が無性に気になりだしました。

 

ライアーは、弦が鳴る音と、鳴った後の余韻とが組み合わさって一つの音になるものです。

これを忘れるとライアーを鳴らしているだけで、表面的な音しか生まれません。

それではライアーの音とは言えないと思うのです。

ライアーでヘンデルを弾きたくなったころ、ライアーの余韻が気になりだしました。

余韻の音は、弦が鳴った時よりずっと透明感があります。

大発見でした。

ライアーのこの透明な音こそが、ライアーが隠していた音だったのです。

その透明な余韻は音の影と言えます。

深い表情がそこから生まれます。

深い大人の表情で、ポロンと弾いた音の無邪気な子どもっぽい、陰影のない音とは全く違います。

 

今は余韻がうまく鳴るように弾いています。

ところがそこに意識が行きすぎると、弦の音が作る音楽が今までの音楽観から離れてしまいます。

下手糞な演奏になってしまうのです。

しかしそれがライアーなのだと今は居直っている。

 

ヘンデルの初期のオペラから魔法使いの歌をライアーで弾いてみました。

ヘンデルのオペラには頻繁に魔法使いが登場し、いろいろな人の人生を魔法にかけてしまいます。

そこから見事な現実離れが起こります。

オペラだから現実離れがいくらあってもいい訳ですが、現実離れしたところら却って、現実がリアルになるのです。

これが芸術の不思議です。

ライアーでこの不思議を弾けないものか、そうと思っていたら、このアルバムの五番目の曲に出会いました。

魔法使いだから何らかの魔法を持っています。

それがどんなものかは知りませんが、魔法によって人の人生が変えられてしまうことは確実です。

 

ライアーの音が人の人生を変えるくらいになったらと願っています。

人の心をえぐる様な音がライアーで弾けるようになりたいとも。

そうしたらライアーを聞いて人生を変える人が出て来るかもしれません。

そんなことを願っていつもライアーを弾いています。

 

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