わがライアーの音 魂をえぐる
五曲目を書く前に言っておきたいことがあります。
ライアーの音、ライアーが願っている音のことについてです。
ライアーの音をもっと深いものだと考えています。
なんとかそこに辿り着きたいのです。
深い音がライアーにはある筈です。
それをできることなら弾き出して多くの人に届けたいのです。
それなのにライアーという楽器に振り回されている自分がいます。
ワークショップの時に、ライアーのことも、弾き方も、それこそ何も知らない人が、初めてのライアーをポロンと弾く。
するとライアーが無邪気に鳴る。
それはそれで美しいと思います。
それで完成している様な気がします。
その音に感動してライアーを買ってしまった人だっているのですから。
ライアーの無邪気な音にはそれなりの魅力があるということです。
しかしそれではライアーが満足していないはずです。
そのことが解ってからライアーの音が無性に気になりだしました。
ライアーは、弦が鳴る音と、鳴った後の余韻とが組み合わさって一つの音になるものです。
これを忘れるとライアーを鳴らしているだけで、表面的な音しか生まれません。
それではライアーの音とは言えないと思うのです。
ライアーでヘンデルを弾きたくなったころ、ライアーの余韻が気になりだしました。
余韻の音は、弦が鳴った時よりずっと透明感があります。
大発見でした。
ライアーのこの透明な音こそが、ライアーが隠していた音だったのです。
その透明な余韻は音の影と言えます。
深い表情がそこから生まれます。
深い大人の表情で、ポロンと弾いた音の無邪気な子どもっぽい、陰影のない音とは全く違います。
今は余韻がうまく鳴るように弾いています。
ところがそこに意識が行きすぎると、弦の音が作る音楽が今までの音楽観から離れてしまいます。
下手糞な演奏になってしまうのです。
しかしそれがライアーなのだと今は居直っている。
ヘンデルの初期のオペラから魔法使いの歌をライアーで弾いてみました。
ヘンデルのオペラには頻繁に魔法使いが登場し、いろいろな人の人生を魔法にかけてしまいます。
そこから見事な現実離れが起こります。
オペラだから現実離れがいくらあってもいい訳ですが、現実離れしたところら却って、現実がリアルになるのです。
これが芸術の不思議です。
ライアーでこの不思議を弾けないものか、そうと思っていたら、このアルバムの五番目の曲に出会いました。
魔法使いだから何らかの魔法を持っています。
それがどんなものかは知りませんが、魔法によって人の人生が変えられてしまうことは確実です。
ライアーの音が人の人生を変えるくらいになったらと願っています。
人の心をえぐる様な音がライアーで弾けるようになりたいとも。
そうしたらライアーを聞いて人生を変える人が出て来るかもしれません。
そんなことを願っていつもライアーを弾いています。