心のこと その三   血と呼吸

2014年9月3日

心は英語でハート、心臓です。心の動きが心臓に影響していることからそう言われるのでしょう。厳密にいうと、心の動きは血や循環系に影響しているので、心を脈拍と言ってもいいのでしょうが、循環系の中枢は心臓ですから、ここでは心臓が代表したのだと思います。

 

心臓は血を体に送っていると思っている人は時代遅れです。卵子が受精して細胞分裂が始まって数週間が経過すると血ができます。血はひとりでに流れ始め、流れた後に血管が作られ脈もでき最後に心臓ができます。心臓がポンプの働きをして、それによって血が体を巡っているわけではないのです。

 

心の動きは血に影響し、血の巡りを左右します。血管にも影響し、脈拍、血圧にまで影響し、そこから心臓に伝わってゆくのです。興奮したときに心臓がどきどきするのはそのためです。血は酸素と二酸化炭素を交換するだけでなく、血が体を巡ることで体は心と化すのです。

ドイツの詩人、ノヴァーリスは、肉体は精神のための寺院と呼んでいます。精神を心に変えれば同じことを言っています。

 

血の巡りが悪くなるのが病気の原因です。健康が維持できなくなるので、大基本が崩れてその人の弱いところが病気として出てくるのです。病気は末梢的なものですから、病気を治せば健康になるという考え方ほど本末転倒したものはないということになります。

勿論弱いところ、病気として出てくるものは治す必要があります。病気によって体全体が蝕まれることがあるからです。しかし病気に振り回されても健康にたどり着くことはないのです。

 

緊張、ストレス、心配、不安といったものが体を硬直させる大きな原因 です。特に筋肉への影響は大きく、それによつて血の巡りが悪くなるのも健康にとっては大きな負担になっています。筋肉の中には無数の血管が通っているので、筋肉が緊張によって収縮すると血の巡りに相当大きな影響があるのです。

心のゆとり、リラックス、笑いが重視されるのは、それらが緊張やストレスに対抗しているからです。 筋肉が緩み、血行が良くなり、皮膚も生き生きして来ます。

 

心配、不安が現代社会を覆っています。そんな中で心のゆとりを見つけるのは簡単なことではありませんが、先ほどのノヴァーリスの精神という言葉を思い出してください。精神によって心は支えを得るのだと信じます。精神はドイツ語では霊の事でもありますから、霊的な力を心は求めていると言ってもいいのではないか、そんな気がするのです。

 

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日本語では心は気です。漢字で表記すると見えなくなってしまいますが「気」は「息」に通じています。

日本文化は心を息づかいに見ているということです。呼吸です。

 

「道」の付く日本の伝統文化、武道では柔道、剣道、合気道、弓道など、また茶道、書道などでも呼吸、息づかい、息、気を重んじています。このことは日本だけでなく東洋全般について言えることで、ヨガ、禅も呼吸をマスターすることを指導します。

 

 迷いがある人の呼吸は浅く、しかも乱れがちです。その人の存在感にまで影響します。そこのところは武道家はみんな知っていて、相手の弱点を呼吸で読んでいるのです。呼吸の乱れは隙を作ります。

 

心がリラックスしている時、呼吸は深く、落ち着いているものです。そういう時、本人に自覚症状がないのが普通です。

逆に 呼吸を整えると心が落ち着き、存在感が違ってきます。傍から見るとどっしりして来ます。

 

呼吸が上ずっている人は言葉も上ずってしまいます。言葉に心が入らず上等な単語を並べても相手に伝わらないのです。

空虚な言葉が飛び交うだけです。さらに、相手に伝わっていないことに気が付くとあがってしまい、ますます言葉に心が入らず悪循環です。

 

 息、呼吸は人間の体だけでなく、「息が合う」というように、人間関係、社会性にまで及んでいます。

息が合うという言い方は、現代風には波動が合うになるのでしょうが、息には呼吸のテンポが生きているので、複数の人間の間を流れる時間を感じながらという意味があります。私には息のほうが波動というよりも深いものを感じます。相手の呼吸を感じるというのは相手の人の中に生きている時間と存在を感じることです。

 

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西洋の心のとらえ方には、上から下に垂直に降りてくる力を感じます。空間的です。

東洋には水平に流れる時間的な流れがあるようです。

実際には心の中には両方の力が働いています。時間と空間がクロスしているのです。

時間と空間がクロスしているところ、それが心です。

なんだかそれを「無」と呼びたくなるのは私が日本だからでしょうか。

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