言葉のセンスとは - 子どもの言葉から
子どもが言葉を習得して行くプロセスは感動抜きには語れません。
親の声を聞き分ける能力、外国語と母国語を聞き分ける能力に関しては脳神経の分野で研究されているようですが、言葉を習得するプロセスの仕組みについてはいまだもって謎です。
子どもは二歳半になるころには相当の言葉使いをマスターしているようで大人が耳を疑ってしまうほど複の雑な表現ができます。
知り合いのお孫さんで二歳半の女の子の話しです。
やっと昼寝についたので、その間にお母さんが買い物に行きました。
ところが目覚めたとき、お母さんがいないのに気が付いて、泣きながら次のように言ったのです。
「私もいっしょに行きたかったのに」
それを聞いた時驚きました。
見事にその時の自分の気持ちをとらえています。しかもそれを驚くほど正確に言葉にしています。文法的にもかなり込み入っています。
大人が二年半外国語を勉強してもまだまだこんな複雑なことは言えません。
最後の「のに」が極め付けです。
「行きたかったの」は単純に希望の表現ですからなんとかなりそうですが、最後の「に」が曲者です。この女の子はどこで学んだのでしょう。
英語で言えば仮定法で、実現しなかったことを希望的に表現するというテクニックで、もちろん上級です。
この子は「言葉のセンス」を持ちあわせているのでしょう。
勿論そうだと思いますが、では言葉のセンスとは何なのでしょう。
センスというのは感じたものをまとめる力です。
言葉のセンスで言えば、小さな子どもは毎日何万という言葉を聞きます。始めはバラバラです。一つ一つの単語が乾いた砂の様な状態です。
乾いた砂では何も作れません。
それがいつしか形を持った、まとまったものになって行くのです。
砂を水でぬらした様なものです。
同時に進行しているのは、周囲の状況を感じとる力です。
言葉は音声ですから感覚器官で捉えているのですが、状況は見えないし、聞こえないし、匂わないものですから、とらえようのないものですが、子どもの第六感でしっかり捉えられているのです。
この状況を捉える力がなかったら言葉はバラバラのままで、まとまった意味を持ったものになることはありません。
状況と単語を組み合わせているのが言葉のセンスです。
外国語を学んでいる時によく起こるのが、状況にぴったりとあっていない表現を使ってしまうことです。
微妙なことを言おうとすればするほど正確な状況把握が必要になり、その状況の中でその微妙な表現が生きて来るのです。ちょっとずれただけでも致命的ですから気をつけなければなりません。
ここでも、子どもの言葉の習得の過程と同じで、状況把握が大きな役割を担っています。
コミュニケーションにあって言葉は重要です。
その言葉の背後にあって言葉を生きたものにしているのは他でもない状況把握の力です。
もう一つその女の子の名言です。去年会っている私を見ながら言った言葉です。
「この人に昔会ったことある」
お母さんの膝に抱かれ、私を横目でちらりと見ながらお母さんにささやくように言っていました。
二歳半の子どもにとって一年前ははるか彼方の大昔です。