沈黙から言葉へ、言葉から沈黙へ  その六

2014年10月10日

沈黙が何んなのかを考えたかったのでこのシリーズを書き進めて来ましたが、書き進む中で沈黙の偉大さに改めて気が付いたのは大変な収穫でした。

実際このシリーズは随分時間をかけて書いたものが多いです。先に進めないことが随分ありました。

 

と同時に、現代人は沈黙を過小評価していることにも気づかされました。何でもいいから言葉にするものが正しいという考えられない世界を生きている人もいます。何も言わないことはマイナスでしかないのです。

ただ最近は沈黙への畏敬が復活している部分も見受けられます。そのことはすでに触れておきました。

 

おそらくキリスト教文化の影響にあった西洋文化が「初めに言葉ありき」に振り回されてた結果なのでしょう。そして日本も明治以降西洋の文化文明を積極的に取り入れて来ましたから、しっかりと西洋化されています。しかしいまだに言葉の苦手な民族であることは否めません。

 

すでに述べたことですが、言葉、ロゴスは言語としての言葉に限ったことではなく、論理的思考というところまで含んでいる、広範囲を包括しているものです。勿論歴史、哲学も含まれています。科学も物理学もです。数学も天文学もそうです。

 

全ては言葉で言えるのだ、言い尽くせるのだと考えるのは人間の過信であり驕りでしかないでしょう。要するに説明できないものの方がはるかに多いのです。実際に生きてみれば、人とのかかわりの中で摩擦があればすぐわかります。人間関係から生まれる難しい問題は現代社会の中であふれています。それらは言葉で説明すればするほど逆効果になる厄介なものです。

言葉で説明されてしまうことで傷つくこともあります。

言葉というのは鳥籠の様なものですから、人間の心というのは籠の中の鳥になってしまうのは本意ではないのです。

 

カテゴリナイズすることかができないのが人間の心です。

人間の心を円に譬えてみようと思います。

コンパスで描いてみてください。そしてそれを好きな色で塗りつぶしてください。

心理テストをするわけではないので何色でも結構です。

円には必ず中心点と円周があります。

塗りつぶした円の中は言葉、ロゴスが活躍しているところです。

 

さて沈黙ですが、これは特殊な現れ方をするもので、円という形にあっては二つの現れ方をしています。

円周と中心点が沈黙ですと言ったらきっとびっくりされるでしょう。

私たちは中心点と円周の間にある言葉、ロゴスの領域で生活していますが、そこがまとまり持ち表現ができるのは円に中心があり円周で守られているからなのです。

心は沈黙に守られているということです。

沈黙に守られていない言葉は夢遊病者の様で、守ってくれているものがないというのは飛び散ってしまうということで、収集がつかなくなってしまうのです。支離滅裂というわけです。

ただ沈黙というのは姿を現しませんから、気がついていないだけで、実は言葉を使っている時にはかけになって働いているのです。

 

 

沈黙が霊であり、精神だというのはこのことです。

人間は言葉だけで生きていると心が定まらない夢遊病者の様なものです。

説明だけで満足してしまう存在であれば人間は夢遊病者なのです。

言葉は凧糸の糸が切れた様にどこかに飛んで行くてしまいもう帰って来ることはないのです。

霊が、精神は無言で私たちを守ってくれているので、私たちは心のある人間として生きて行けるのです。

 

 

矛盾したことを言います。混乱するかもしれませんから気を付けてください。

沈黙は言葉によって鍛えられものでもあるのです。

もしある人が一生黙っているとします。沈黙は鍛えられるどころか腐ってしまいます。

中心点としての沈黙は言葉で鍛えられる沈黙です。円周は違います。そもそも与えられた沈黙で、それはただひたすら私たちを守ってくれている沈黙です。この二つの間が言葉なので、言葉は沈黙に助けられ、沈黙を強めているのです。

言葉を磨くことが沈黙を磨くことにつながるのです。

沈黙に向かう言葉、沈黙を育てる言葉があります。詩の言葉です。

古来から人間の言語生活には詩が、歌がありました。詩や歌は限りなく沈黙に近いものだったのです。

説明のための道具になってしまった言葉もあります。意味だけしか伝えない言葉もあります。言葉でいいわけすることも出来ます。嘘もつけます。そう言う言葉は沈黙から遠く離れた言葉です。それらは沈黙を育てるためには何の役にも立たない用事を足すだけの即物的な言葉です。

人間は言葉を磨くことで霊を、精神を語ることが出来るのです。

しかし言葉の落とし穴に落ちている現代人はそのことをすっかり忘れてしまっているのです。

 

沈黙を含んだ言葉で話された時、聞き手は動きます。

言霊(ことだま)は言葉の中に沈黙が生きているということだと解釈しています。

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