ゲルトナーライアーの秘密: 誕生 その三
ゲルトナーライアーの丸みを帯びた形は特筆すべきもので、この形の誕生こそがその後のライアーの発展にとって決定的なものになったのです。いまこの形を当たり前のものとみてしまいますが、とんでもない形の出現で、この形に多くのライアー奏者は夢を託したのです。この形があったからこそライアーは演奏者をふやすことができたのです。
曲線は温くもりのある広がりの中を夢見るようです。そこで見た夢が心地よく広がります。その絶妙な形の中を残響の長い弦の響きが重なり、二つの要素が絶妙にマッチするように作られたのがローター・ゲルトナーの作り出したライアーだったのです。
私はここを忘れてはライアーのことは語れないと思っています。
ゲルトナーライアーの形がその後ライアーの形として踏襲され、定着してからは、不思議なことにゲルトナーライアーの工房から巣立ったライアー製作者たちはほとんどがゲルトナーライアーの形をそのまま借りてライアーを作っています。
ロター・ゲルトナーのどういう直感からこの形が生まれたのかは知る由もありませんが、残されたメモの中には日本の家紋、陰陽勾玉巴を連想させるような図案が見られます。そのことから察するに、二つの異なる力が一つになるイメージを抱いていたようです。東洋思想の中核である陰陽のようでもあります。あるいは天と地、霊と物質でしょうか。この二つの力を調和させようとしています。 ゲルトナー・ライアーには調和が、調和の精神が生きているということです。
楽器全体を丸にまとめるという大胆な発想にも驚かされます。腕の中に収まる丸い楽器です。含蓄のある知恵が潜んでを感じます。
ゲルトナーライアーはしっかりした世界観に支えられ、そこから生まれ、発展したものです。単なるデザインではなく、思いつきやアイデアではなく、紙の上のデッサンでもなく、楽器という物質世界の中に霊の働きが降り、演奏可能になった楽器なのです。世界観という目に見えない大きな力に支えられ初めて成し遂げられたことでした。
ゲルトナーライアーの丸いシンプルな形の中には、繊細な感性と共に知性が生きています、言いすぎでしょうか。左脳的要素を持った楽器です。いや左脳と右脳の調和です。含蓄のある曲線、形の美しさ、それと並んで特筆すべきことは、曲線という動きの中で、多数の弦によって生じる張力に耐えられる楽器が出来上がったということです。大変な苦労と努力があったに違いありません。ローター・ゲルトナーにとって自分でイメージした楽器が完成した時の喜びはどんなものだったのでしょう。それにもかかわらずローター・ゲルトナーの努力についてはあまり語られることがありません。とても残念なことだと思っています。
楽器を抱きかかえる様に演奏することはほかの楽器でも見られますが、丸抱えというのはゲルトナーライアーだけでしょう。妊婦のおなかの中の赤ちゃんのようです。ライアー人口をみると圧倒的に女性というのはそのことと関係があるのかもしれません。個人的には、小型ソプラノライアーと呼ばれているライアーに原初的なライアーを感じています。
余談になりますが、歴史的にみるとチェンバロは女性が弾く楽器でした。リュートは男性が弾くものと相場が決まっていました。今ははそんなことにこだわっているって人はいません。ライアーの世界にも将来男性の演奏者が増えて行くかもしれません。
世界観に触れましたがこの言葉は哲学用語ですから、日常生活とはかけ離れたものだと思われてしまいそうですが実際はそんなことはなく、人が人として立っていることを言っているもので、どう生きようかと思っている人はみんな世界観を持っているのです。
世界観が ないとイズムやイデオロギーという渦に巻き込まれてしまいます。ただそう生きているほうが楽でもあるため多くの人が世界観で生きるよりイズムとイデオロギーの中で徒党を組んでしまうのです。一人でできることなど限られていますから人と協力して生きゆく必要はあります。そのために徒党を組んでしまうのですが、それでも世界観を持っている人は徒党を組んでも渦に巻き込まれないで一人ですっきり立っているものです。まるでライアーの音のようです。
世界観は見えないものです。ライアーの音が一人一人の個性、世界観に裏付けされるようになると聞き手の深いところに入っていきます。
ライアーには世界観がある。これが私がいつも驚かされるところです。
ライアーは とても身近で入りやすい楽器であると同時に、もしかすると孤独なとても哲学的な楽器でもあるとも言えるのです。
これからの時代の中でライアーづくりを目指す人に取って、ライアーの原点がどういうものであったのかを知っているというのはライアーの未来のために大いに役立つものです。