リパッティーのショパンのノクターン作品27の2、ピアノの修行僧
1950年に33歳の若さでこの世を去ってしまったピアニスト、リパッティのことを書きたくなりました。
ショパンのノクターン作品番号27-2をyou tube で聞きました。私の手もとになかったのです。
こんなに飾り気のない演奏は久しぶりでした。
楽器の演奏は厄介なもので、演奏する人が丸出しになってしまいます。
情緒に流され、感傷的になりがちなショパンのノクターンですが、そういったところは微塵もなく、真水の味、無味の味と言いたくなる演奏でした。
演奏はその人が丸出しになるものです。リパッティも当然のこと、丸出しになっているはずなのですが、ショパンの音楽以外何も見えてきませんでした。
ショパンとリパッティが一つになってしまって、それで音楽以外のものがなくなってしまったのでしょう。
東洋的という言い方はとても気を付けないととんでもない誤解を招いてしまいます。
リパッティは西洋的であって東洋的でもあります。
東洋的であって西洋的でもありたいと願っている私はとても憧れます。
日本の演奏家たちの多くが東洋を捨てて西洋的を装っているのがとても残念です。
日本人なら、日本を東洋を突き詰めないと西洋にたどり着きません。
初めから東洋人である人が東洋を捨てしまっては根無し草です。
西洋の前で躓いているようです。
リパッティはピアニストが人格になって、彼の音には人格が響き始めます。
人格は精神修養の賜物ですから、ピアノのテクニックを学んでも到達しないものです。
ピアニストという職業からくる自惚れも驕りもない、透明な世界です。
ピアニストが人格に至ると一音一音と向かえるようになり、いい加減な、用を足しているだけの音が一切なくなってしまいます。
リパッティの奏でる音の上にはエンジェルが跳ね回っています。
何の心配もなく、心置きなく音と戯れていて、ほほえましい光景です。
エンジェルがこの地上で安心して居られる数少ない場所なのかもしれません。
エンジェルに出会えたことに感謝しています。
ありがとうリパッティ。
追伸
lipatti chopin nocturne op27-2
lipatti chopin nocturne op27-2 live recording
二つが聞けます。
bachのカンタータ147もお薦めです。