月の話し

2012年4月26日

月とライアーがよく似合う話しは前回すでにしました。

それ以外にも私が月をイメージすると必ず出て来るものがあります。

幾つかあるのですが、その一つは書です。書道の書です。

何故ですかと聞かれても、私の主観的なイメージの中にあるだけなので答えようがないのですが、とにかく書です。

 

実を言うと、すこし気恥かしいのですが、私は書と言える程のものとは縁がありません。

小学校の時に筆で書いたことがある程度の書道家です。

そんな私でも、筆に墨を含ませ紙の上に字を書くと、月を感じます。

日常から離れた静かな動き、そこから生まれる異次元の空間がそうさせるのかもしれません。

英語を勉強するにあたって、字を丁寧に書くことをしました。

詳しくは、昔書いたブログの「写経的英語学習」を見てください。

その時字を書くことは月と関係がある様な気がしていました。

鉛筆で書いていても、字を丁寧に書くことは月のイメージの中を遊ぶことだったのです。

英語のアルファーベートは筆では書けません。

ですから英語の学習に関しては鉛筆から抜け出すことはできませんでした。

しかし書くことの楽しさ、それ以上に書くことの美しさをそこで再発見したことから、時々筆で遊んでみました。

知り合いのために筆で般若心経を写経している時には心は月にあった様な気がします。

 

書を見るのも好きです。

昔から王義之の書には憧れていました。

乱帳帖というのがお気に入りで、よく眺めています。

彼の字からは月と共に星空が、それも新月のよく晴れた日に夜空に広がる満天の星が見えて来ます。

ヨハン・セバスチャン・バッハの音楽に共通するものがあるようです。

月をイメージさせてくれるのは日本の書の方かもしれません。

三筆の代表空海の書はどちらかと言うとまだ星空に近いもの、中国的なものを感じますがそれ以降の人たちは月です。

私が好きな書は良寛さんの書で、これは月を感じさせる書の極めつけと言っていいかもしれません。

月の光には揺らぎを感じることがあります。ウルウルと揺らぎます。

ロウソクの炎の様な揺らぎですが、揺らぎながらもしっかりと安定しているのです。

こんなところはライアーの音そのものです。あるいは私の尊敬するアルフレッド・デラーの歌声のようです。

良寛さんの書も揺らいでいて、しかも恐るべき安定があります。

この矛盾が多くの書家を惹いてやまないところなのでしょう。

 

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