数学と人生、そして抽象化とテレパシー。 その一
しばらくブログをお休みしてしまいました。
体調がもう一つ整わなくてと、体調のせいにしてはいけないのですが、体調が整わないと、体に力がないと、却って100パーセントのものを無理してでも書こうと力んでしまい、途中で力尽きて最後まで文章がまとめられないという悪循環でした。
ようやく60パーセントでもいいや、うまくいけば80パーセントまで行くかな、といったスタンスで書けるようになりました。
またお付き合いをお願いします。
そんなことを言いながらまた力の入ったテーマを選んでしまいました。尻切れドンボで終わってしまうかもしれません。60パーセントで書きますからのんびり読んでください。
ぼんやり生きているようでも、私たちは結構頑張っています。というより上等なこと、高級なこと、極めて精神的なことをやっているのです。例えば日々の生活がどう私たちの人生を豊かにするのかというあたりを見ると、日々の出来事は必ず抽象化というプロセスを通っているのです。
そのことでただの出来事がイメージになります。普通はそのプロセスを「豊かになる」と言い方で呼んでいるのだと思います。豊かな人はイメージをたくさん持っているということです。
ものをたくさん知っている人、概念で理屈を上手にこねる人ではなく、イメージの豊かな人のことです。
言葉にすると、たかが日常生活とは言えなくなってしまいます。
すごいことを日々やっているのです。
生きるということは、日々を積み重ねるだけでもなく、齢を積み重ねるだけでもないのです。豊かになるのです。
その豊かというのは、物質的なものではなくて、抽象化によってイメージ化されるものなのです。抽象化するところ、そこから生まれるイメージがミソです。イメージは意味とか概念とかとは全く違うものてす。
抽象化という言葉につまづかないでください。ちょっとわかりにくいかもしれませんがすぐに謎解きが終わります。
もしかしたら、大袈裟かもしれませんが、日々数学をしているとも言えそうな気がするのです。
「数学!? 抽象化!?」
「俺は、私は今までにそんな難しいことは一度もしてきてない」とおっしゃる方もいらっしゃると思います。
心配しないでください。抽象化はありがたいことに人間ならみんなできることなんです。しかも、知らないうちにちゃんとみんなやっているのです。
どういうことかというと、要するに寝ればいいのです。