嫁さんの昔の共同購入グループの同窓会

2016年5月4日

「明日はむかし一緒にしていた共同購入グループのみんなと久しぶりに会うの」と嫁さんはウキウキしています。

嫁さんは10年前からそのグーループから離れていますが、今でもみんなと電話で長々とよく話をしています。「親友というわけではないけれど、時々話したくなるのよ」と嫁さんは長電話の言い訳をします。私も時々手伝わされたことがあるので、共同購入の皆んなのことはよく知っているので、嫁さんが電話で楽しそうに話をしているのを横目でうらやましそうに見ています。

嫁さんは15年間そのグループと一緒に有機食品の共同購入をしていました。そのグルーブはすでに5年前に創立されていましたので、創立の時の苦労話は詳しくは知りませんが、市場の人から「当時はこうした共同購入のグルーブは半ば流行のようなものだった」と聞いています。一時期はその市場だけでも20以上あったようですが嫁さんが参加した頃にはすでに唯一の生き残りということでした。30年前のドイツはまだ有機、Bio、無農薬は珍しいものでした。有機食品の専門店はおろか、商品として並べている店も今とは比較にならないほど珍しく、共同購入で有機食品が買えると言うのは相当魅力的だったのでしょう。しかも高い有機食品が仕入れ値段で買えるとなると、若い人たちはこぞってグルーブを作ることに走ったのは想像できます。

嫁さんがやっていたグループも嫁さんが離れて2年後には解散してしまいました。理由はとりあえず二つあります。とりあえずと言うのは、一目瞭然の、客観的なということです。その一つは、今はスーバーでも有機食品が簡単に手に入るので、共同購入のメリットがほとんどなくなってしまったことです。これは決定的です。何も手間暇かけて買わなくてもよくなってしまったのですから。もう一つは若いお母さんたちが仕事に就くことが多くなり、時間が作れなくなったことです。しかし私にはもう一つ見えない理由があるような気がしてならないのです。嫁さんのグループのメンバーにしても何度も入れ替割があったようでしたが、幸いにもだいたい同じ世代の人が入れ替わっていて、私が外野席から見ていても、メンバーは変わってもグループそのものは同じような状態が維持されていたようでした。嫁さんが辞める時一緒に4人が抜け、後に入ってきた人たちはずっと若い人たちだったのです。世代が違うとまではいかないですが15歳ぐらい平均年齢は下がったと思います。有機食品が手軽に買えるようになっていたことは確かに大きなことでしょうが、嫁さんのやっていた15年の間にもすでに有機食品を扱う店舗は急増し、有機はどこでも買えるようになっていましたから、それが理由であれば嫁さんのグループもとっくに解散ということになっていたとおもいます。若い世代にはグループを維持する力がないようです。イヴェント的にはすぐ集まりますが、コツコツと何かをし続けることは苦手な世代なのかもしれません。

 

できれば明日嫁さんと一緒にその同窓会?に参加したいほどなのですが、外野は来てほしくないようですので遠慮することにしていますが、それでもあのグループには魅力を感じていますから、ブログを書くことで彼らのことを思い出してみようと思います。

我が家では三番目が喘息持ちで不純物の入ったものを口にすると湿疹や軽い喘息になつてしまうこともあって、口にするものには気をくばっていてきるだけ有機食品を使い食事を作っていました。買い物となると車で遠くまで買い出しに行ったものでした。ある日子どものクラスのクラス会の時に、子どもが親しくしている子のお母さんから「私たちは8人で有機食品を扱っている市場で共同購入をしているのだけど、一人引っ越すのでその後釜としてご一緒しませんか」と声をかけられました。嫁さんは二つ返事で早速次の週から共同購入に仲間入りしたのです。8人を4組に分けていたので4週間に一度当番が回ってきます。毎回二人づつで注文を集めそれを市場の方に発注して、次の朝に市場に取りに行って、自宅で各自が注文したものに分け、最後はそれをその家にまで配達します。市場への発注、その前に8人からの注文を受けるのにもメールなる便利なものはなく、電話でという時代でした。我が家にはFaxがあって重宝がられたものでした。

共同購入のことを他の友人に話すと、「そんな面倒臭いことをよくするわね」と嫁さんは言われていました。確かに面倒臭いものです。「自分が買いたいものだけを買ってくればいいことじゃない」という言葉もよく聞かされていました。嫁さんのそういう時の返事は、「でも一緒にみんなでやっていることが楽しいのよ」でした。確かに皆さんがおっしゃるとおりで、やらなくてもいい余計なことをやっていると見ることもできます。私も「よくやるよな」と思ったことがありました。一週間分を注文するのですから、その週に食べきれないものがあって捨てることもあり、経済的にも、仕入れ値で買ったとしても、必ずしもメリットがあったとは言い切れないかもしれません。

有機食品が安く買える、ここがこのグループの目標であり出発点でした。他のグループも同じです。我が家もほぼそうでした。しかしその目標だけでは続かないことは当時20あったグルーブが数年で消えてしまったことを見ても明らかです。目標、あるいはイデオロギーのようなものは弱いものなのです。嫁さんのグループも、とりあえずはこの目標をかかけでいたものの、実際はというと、その目標は「塩少々」程度のもので、グループを支えていたのは、別の力だったと思っています。人間同士の信頼でしょう。お互いがあそこで友人関係を作れたということです。もともと友人だった人たちが集まってきたのではなく、そこで初めて会った人同士が友人になったということです。余計なことをするのが苦にならない人たちの集まりだったようです。他人が注文したものに振り回されても苦にならない人たちでした。当時半年に一度のグループ会議で我が家にやってくる彼らはとても明るく嬉しそうでした。

嫁さんが始めた時は娘が小学二年生、やめたのは息子が高校を卒業した時です。その間は子どものことでの悩みを聞き合う仲間でもあったようです。しかし今は子どもたちも成人して、結婚して子どもがいるのもいます。明日は、きっと孫の自慢話も飛び出して話に花が咲くのでしょうか。

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