シューベルトの未完成交響曲 その三
谷崎潤一郎のエッセイ「陰翳礼賛」は幾つものヨーロッパの言葉に訳されていて、非常に評価の高い本です。ドイツでも根強いファンがいて、日本通を自負する人なら必ず読んでいる本です。坦々と日本の生活の様子を書いているのですが、電灯のなかった当時の日本と、電気で明るく照らしている西洋の生活とを対比しながら日本の美を谷崎節で語っています。若い世代の人たちの中には多少時代のズレのようなものを感じる人がいるかもしれませんが、今日読んでも新鮮なものが沢山ありますから、一読をお勧めします。
シューベルトの未完成交響曲を聴いていると、障子を通して部屋に差し込む光を思い出します。淡い、角のないまるみを帯びた光です。
日本人にはたまらない光です。
未完成交響曲と障子を通った光の間の共通性と親和力。
私には切っても切れない深い結び付きなのです。
ドイツの音楽好きの友人何人かとシューベルトの話をしていて気がついたのは、彼らはシューベルトのこの曲に、というよりシューベルトそのものに全く焦点があわないということでした。更に驚いたのは未完成交響曲を聴いたことのある人が、この曲を暗い音楽と感じていることでした。
未完成交響曲は暗い音楽なのです。私はそんな風にこの曲を聴いたことがありませんでしたから、まさに驚きでした。
何が言いたいのかわからないから暗いのだという友人もいました。どこが暗いのか知りたくしつこく聞いて行くうちにわかってきたのは、この音楽の輪郭がはっきりしないと言うことでした。音楽に輪郭がないのは致命的だと言われました。
西洋の音楽はそう言われてみれば確かに一輪郭を持った音楽です。光を思いっきり当てとにかくコントラストをつけて、輪郭だけははっきりさせなければ気が済まないのです。
はっきりしたコントラストが彼らのこころを落ち着けるためには必要だということなのでしょう。