観光旅行と団体さん

2017年10月18日

沢山の人が旅に出る時代です。
旅は人生にとって強制されているものではなく、しなくてもいいわけですが、出かけたくなるものです。
旅は道連れ、世は情け。旅先では何かと不安だから道連れがいると心丈夫ということでしょうか。旅の風情を感じます。ゆったりした、のどかな感じです。しかしそんな旅をする人は珍しくなって昔の話という感じです。そもそも旅という言葉ですが、死語ではないでしょうが、最近聞かなくなったような気がします。
旅ではなく旅行に出かけるのです。その方が今風で自然です。さらに、旅行というより観光にです。
行楽の時期や、連休となると観光スポットは沢山の人で溢れ都会並みの賑わいを見せます。
旅をすると言った時代とは打って変わって、沢山の情報を持って、プリントアウトされた地図を手に、迷わずに旅行ができるわけです。が、なんだか風情にかけています。
世界遺産という制度が定着してからは、世界遺産にフォーカスされた世界遺産巡りをする人も増え、珍しい景色に多くの人が惹かれ、絶景と言われているものを、貴重な人類の遺産を一度は自分の目で見ておきたいと足を運ぶようになっています。観光ブームはここ4半世紀疲れることを知らず成長し続け、文化・教養というだけでなく観光業として経済社会にも立派に貢献して来たものです。
何が観光ブームを支えているか考えてみましょう。その膨大なエネルギーはどこから来ているのでしょう。観光ブームに今の時代特有のあり方が伺えるような気がしてならないのです。
観光旅行といえばそこには必ずと言えるほど団体さんがつきものです。
個人で観光地を訪れる場合は、旅行を兼ねて観光するというスタンスが可能ですが、団体旅行となると、旅行は二の次で名所旧跡を見る観光がまず優先しています。もっと優先しているものがあります。それは時間厳守で、次に予定されているところに時間通りに着かなければならないため、時間との戦いになります。つまり旅行よりも、観光よりも、時間が最優先しているのが団体の観光旅行の特徴でしょう。
レストランに入っても、注文することなく料理が出て来ますし、お土産やさんに寄って買い物をし、せかされながらバスに乗って次の目的地に向かうのです。次の所でも同じパターンで観光、食事、買い物、バス乗車という繰り返しが待っています。一週間の旅行を終えて家に帰って一体何を見て来たのかと振り返っても、全てが混沌とし、一緒くたになっていて、写真だけが手がかりになるものということになりかねません。

極めて表面的で、ここが私たちの時代の特徴と一致するところです。情報社会になつて便利さはかつてないほどでしょうが、便利になってなんでもスムースに事が運ぶのは悪いことではないにしても、機能することに振り回されているのではと一言を呈したくなります。
機能優先社会ですから、人材の選択も機能することに重点が置かれ、それ以外の人は外されてしまいます。観光旅行で言えば、少ない時間の中で、色々な国に行き、そこでたくさんのものを見ることができるのがいい観光旅行ということになりそうです。無駄な時間が一切なしの、合理的に機能している観光旅行なのです。
しかし何か大事なものが見落とされています。見て来たものと、自分が生きていることとが結びつかないのです。素晴らしい景色、珍しい建物を見て感嘆の声をあげるのでしょうが、それは刺激に対して反応しているだけで、センサーが動いているものに電気的に反応するのと大して変わりがないのです。今目の前にしている物が何なのかと問うことがないのです。
今目の前にしている物は、もうすでに分かっているもので、分からないという、ワクワクした感情が沸き起こることはないのです。
感情が失われているのが現代です。エモーションは感情の一つですがより衝動的なもので、私が感情と呼びたいのはフィーリングの方です。フィーリングは時間をかけて練りこまれたものなのです。
ミツバチの話を読んでいた時に、一つの巣箱の中に、女王蜂と働き蜂と怠け蜂がいると読んで、さもありなんと感動しました。怠け蜂は機能主義的に考えれば無駄なものですから、排除すべき存在です。そこで仮に排除したとしてどうなるのかというと、働き蜂の中から新しく怠け蜂が出てくるということですから、怠け蜂は巣に必要な存在と言えるのです。
感情は無駄なことをするところで育つものだと考えています。なんでもスムースに機能しているところに感情を育てるエネルギーは存在していないのです。無駄なことをする時間があって欲しいのです。少しくらい不便を感じてることが大事なのです。
機能優先社会ではこの先コンピューター、ロボットというものに多くの仕事を譲ることになります。そこで人間が居場所とするのは、無駄という考え方が生きている所でしょう。

さて観光ブームですがはブームと言われるように時代的な流れに過ぎないのかもしれません。しばらくしたら、かつて観光旅行と呼ばれているものがありましたね、などと会話するようになるかもしれません。

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