不動心とバランス感覚

2012年6月18日

子どもの様なという言い方は含蓄が深いです。

子ども時代への憧れから始まって、子どもがもつ大きな可能性、そして子どもが見せる純粋さ。

これらが子どもの様なという響きの中に含まれている様です。

 

おなじ子どもという言葉でも、子どもぼっいというと、幼稚ということで、否定的です。

そこには、大人であることの素晴らしさが潜んでいます。

大人のもつ自由さがそこには響いています。

 

ということは大人も子どもも、どちらも素晴らしいということです。

 

無いもの欲しがりというのは不幸の始まりです。

今あるものに満足するという姿勢の中に幸せがあります。

足るを知るということです。

 

しかし満足しきっていてはこれも問題です。

やはり発展というのか成長があって初めて深い満足が得られるのだと思います。

発展・成長が人間の本質、宇宙の本質です。

神という存在も成長しているはずです。

 

会社の経営に携わる人たちは、現状維持を考えているだけでは営業成績は右肩下がりと言います。

成長意識が伴って初めて現状が維持できるのだということです。

しかし成長経済ではないですが、いつも右肩上がりを続けるのはしんどいものです。

いつもお尻を叩かれていては疲れてしまいます。

燃焼症候群といわれるものが今先進国社会を覆っています。

仕事に追いかけられて、疲れているのです。

 

休息が大事という事実が忘れられているのです。

休息していると何もしていないように見えるのでしょうか、休みの時もどこかに旅行したりします。

何かしていないと落ち着かないというのは脅迫症です。

そうして、仕事をしていても、休んでいても、自分を擦り切らせてしまうのです。

 

こういうところにもいつも言う自我をしっかり持つことの大切さを感じます。

自我というのは、中庸のことです。

どっちつかずということではありません。

しっかりと状況を天秤にかけて、自分に一番いい状態を自分のために作りだす力です。

 

自分を大切にするというのは自己愛ではなく、そこから初めて自分に相応しい自分が生まれるということです。

アイデンティティー、自分らしい、という言葉をよく耳にしますが、時の流れに振り回されていることが多い様です。

時代遅れも生きにくいですし、あまりに時代を先取りしているのも生きにくいものです。

時代を呼吸することは大事ですが、時代に呑み込まれないようにしないといけません。

 

人間は時代の子です。

その人が生きている時代に自分が何かを還元することは大切なことです。

そこに社会のお役に立つという考えをあまり混ぜすぎると、バランスを崩します。

社会が自分をどの様に鍛え、それによって育ててくれているかを見極め感謝することです。

 

人間は止まることのない天秤秤の様に右に傾き、左に傾き揺れています。

それを止めることが不動心ではありません。

バランス感覚は止まっている時には働いていないのです。

動いている時に自分が止まっているかの様な安定をもたらしてくれるものです。

動くからバランス感覚は鍛えられ、強くなるのです。

 

不動心とバランス感覚、この二つとてもよく似ている様に思いました。

 

 

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