卒業プロジェクトに参加して

2018年3月9日

京田辺シュタイナー学校の卒業プロジェクトに今年も行ってきました。

卒業プロジェクトなるものをご存じない方が私のブログを読んでくださる方の中にはたくさんいるのですが、紹介を兼ねて書いてみます。

今年で五度目なのにますます興味が深まっています。

毎年卒業生が違うから楽しみが毎年違うのはもちろんですが、それ以上にこのプロジェクトに向かう卒業生一人一人の意気込みがスリルに満ちているためというのが足を運ぶ理由のようです。成人の仲間入りの入口で、安物の自分探しからは得られない手応えがそこにはあります。自分に翻弄させられている若者の姿は、未知からの洗礼に怯える清々さがあり、そこには一編の詩を読んでいる時に感じる充実があるのです。

 

シュタイナー学校では卒業の年に一年をかけて卒業発表を準備します。テーマは自由ですから毎年様々な取り組みが見られます。それが卒業プロジェクトです。

以前は卒業演劇に興味があり足を運んだものでした。演劇に興味が無くなったわけではないのですが、卒業してゆく生徒さんたちの生な呼吸を五年前の卒業プロジェクトで直に触れてから毎年足を運ぶようになりました。

 

卒業の一年、あるいは一年半ほど前から各自一つのテーマの下に卒業生全員の卒業プロジェクトが動き始めます。一年以上の時間をかけて一つのテーマに取り組むわけですが、思春期を抜け出したばかりの不安定な成長期にとってこの長丁場は、本人もですが指導する先生たちにとっても決して簡単なことではないはずです。テーマ選びに際してもただ単に興味があるから、自分でやりたいと思ったことだからと選んでしまうと、思いがけずに裏切られることが多く、こんなことがしたかったんじゃないんだ、という風に途中で転覆してしまう例がいくつもあるようです。こんなところにも成長期にいる人間のリアルな姿を感じます。

卒業プロジェクトは自分自身を、卒業を機にまとめるという意図を含んだ企画と見ていいと思います。けれどまとめるという知的作業で通り過ぎるのではなく、自分を自分の前にさらけ出すという、熾烈な戦いを通し、自分を語るにふさわしい言葉に出会うまでの旅と言えるのかもしれません。

自分をさらけ出す、これは実に厄介なものです。特に思春期をまだ引きずっている時期は恥ずかしかったりして向かい合いにくいものです。この羞恥心の中から生まれる自分が尊いのであって、ここを避けてしまうと向かい合っているつもりが、見てくれのいい自己陶酔や自己欺瞞、あるいはエゴイズムに陥ってしまいかねないので注意を要する繊細な作業です。

 

そんなに試練の道のりをなんとか漕ぎ着けた発表の日、盛大なセレモニーが待っています。

選んだテーマは鏡で、そこに自分が映し出されます。その自分を言葉にして行く作業が卒業プロジェクトの醍醐味ですから彼等の口からやっとの思いで出てくる言葉ひとつひとつに全力で耳を傾けます。聞き逃すわけには行かないのです。彼等がギリギリの力で一年かけて用意した言葉に彼等と一緒に感動できる瞬間なのですから。制作に費やした卒業生の場合、職人の寡黙に近い重い言葉も魅力的です。もちろんまだまだ途上だと感じる未熟な言葉が多く、時には背伸びしたひとまわり大きすぎる言葉に振り回されていることもありといろいろですが、どれもが精一杯の表情の中で輝いているのです。

 

わたしは特別顧問ということでの参列ですからほぼ外部者で、発表する卒業生達とはその時だけの出会いとなります。そんな中で彼らの発表を聞くというのは、テーマの内容は勿論ですが、それ以上に卒業生が発表の場に漕ぎ着けた姿が眩しく、それだけでワクワクします。しかも言葉という真剣を手にしこちらに向かって来ます。竹光などで立ち向かうわけにはいきません。こちらも聞き耳を立て真剣に待ち構えスリル満点です。

わずか20分ですが盛りだくさんです。わずかの間に発表があり、その後それに対しての感想や質問が飛び交います。たかが20分なのですが、晴れ舞台であり、崖っぷちに立たされた正念場であり、恐怖と喜びが入り混じります。発表者の心の中は嵐が吹き荒れ複雑ですが、唯一の救いは、会場に駆けつけた親御さん、卒業生、学校関係の友人たちの温かく見守ってくれている眼差しです。その眼差しの前で、発表する卒業生は激痛を伴った脱皮を感じているに違いないのです。恐怖と涙と笑いが共存している正真正銘の感情の疼きの真っ只中です。発表が終わって一礼した後に見られる笑顔は印象的です。その笑顔の輝きは幼子が初めて二本の足で立った時に見せる最高の笑顔に似ています。

暖かい拍手の中で痛みは癒され、疼く感情も落ち着きを取り戻し、深く一礼した顔には過去と未来とそして何よりも今を噛みしめるすがすがしさが輝いています。

 

五回目の今回は、今までとは少し違うスタンスで臨んでいました。いま目の前にいる卒業生の許で結晶したものがどれだけの時間と労力とが費やされたのかと突然気になりだしたのです。それを思うとめまいがするほどでした。大きな塩の結晶を目の前にしているような感じにもなりました。その塩が作られるためにどれだけの量の水が必要だったのか、どれだけの時間をかけて乾かしたのか、そこに吹いた風の量、太陽の光と熱、それらが発表を聞いていると津波のように私に覆い被ってきたのでした。シュタイナー教育の大きな特徴は時間です。時間の実態を子どもに伝授することです。どうやってそれをするのか、エポック授業もその一つですが、卒業プロジェクトも然りです。卒業プロジェクトは、別の言葉で言うと、時間をかけて自分に馴染んで行くプロジェクトと言えます。一年という長丁場の中で自分と馴染むのです。時間の中でしか成熟しないものがあると言うことなのでしょう。説明という時間を省略した理解の仕方ではなく、腑に落ちるまで時間をかけるという理解には、学校を巣立って行く子どもたちを内側から支えてくれる何かしらの力を感じるのです。会場では時には辛辣なことを言い時には涙ぐみながら拍手を送っていました。

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