ライアーのためのファンタジア
前回の続きです。
ビウェラの曲集の中にファンタジアという作品がいくつもあります。ファンタジアというのは、今から六百年ほど前に生まれた音楽のジャンルで、意味はファンタジーと言う事から想像するほど幻想的なものではなく、ただ自由な形式の音楽という風に理解されたらいいと思います。
中世では音楽といえば宗教音楽か世俗音楽かで、その中の世俗音楽は踊りと切り離すことができないものでした。楽器は踊りの音楽のためのものだったのです。今日ピアノやヴァイオリンやオーケストラで演奏されることのあるメヌエットを始めバラード、マズルカ、シャコンヌ、サラバンド、パバーヌはすべて当時盛んだった踊りの名前です。楽器は踊るための伴奏を受け持っていたのです。
そこに宗教音楽でも無く踊るための音楽でも無いものが登場したのです。それがファンタジアでした。当時としては踊りの伴奏にならない世俗音楽は画期的というより拍子抜けだったはずです。おそらく耳慣れない音楽だったのでしょう。私たち今日時折耳にしている現代音楽のようなものだったかもしれません。
音楽が宗教からも舞曲からも開放されて独自の道を歩き始めたのです。それはまさに当時の人々の時代意識にマッチしていたのでしょう。ファンタジアはすぐに人気者になり、たくさんのファンタジアが作られたのでした。ファンタジアは自由の象徴だったと言えるのかもしれません。
さて現代にファンタジアに見合う音楽をどこに見つけたらいいのでしょう。我々の時代は何を解放し自由を得たいと願っているのかということです。歴史というのはいつも何かに囚われ、それを解放しようとする営みの連続でした。現代も例外ではありません。どのように成りたいのかです。音楽を含め芸術というのはそうした意識の変化に常に敏感に反応して来ました。
ただ解放が理屈でなく、喜びでないと芸術に反映する事はないだろうと私は考えています。芸術とは頭の産物ではなく、心の底から湧いて来るものだからです。現実を説明することからではなく、現実が望む方向が反映されるのが芸術だと信じています。